「あなたも…よく頑張ったわ。だからもういい」

▼世界を変えようと戦った男デュランダル。
 しかし雄図虚しく、彼は道半ばにして斃れてしまう。

 敗れ行く者達──というのが今回のテーマだったと思います。
 キラやアスランは確かに戦場で活躍しました。
 けれど、その彼らの勝利は敗北者であるデュランダルやレイ、そしてシンを引き立てるものでしかなかった……というのが私なりの感想です。もちろん別の見方──たとえば旧作キャラをひたすら贔屓した内容だった、という感想もあるでしょうけれど、そこはいつも書いている通り、人それぞれの感じ方がありますから。エンターテイメント作品の鑑賞の仕方には「こうでなければならない」という決まりはありませんものね。
 さて、キラやアスランのことを「引き立て役」と感じたのは、冒頭で書いた通り、DESTINYが「敗れ行く者達」をテーマにしていたと思うからです。

ルナ 「シン? シン!」
シン 「ルナ……?」
ルナ 「シン! …ああ…もう……」
シン 「あれ……」
ルナ 「レクイエムよ」
シン 「……」
ルナ 「オーブは、撃たれなかった」
シン 「えっ」

 この場面で、最初シンはうっとりと宇宙空間を貫くレクイエムの光を眺めていました。
 けれど、ルナマリアに「オーブは、撃たれなかった」と告げられ、表情を変えます。『まさか、そんな!?』と言いたげな様子に。
 そしてフリーダムとエターナルの攻撃で次々と爆炎をあげ崩壊していく要塞メサイアの描写が為された後、シンは号泣を始めました。
 これはつまり、オーブを討つことが叶わず、味方の根拠地も攻略されたことへの敗北感──無念のあまりの涙だと思うのです。
 また、このような描写もありました。

アーサー 「艦長、メサイアが!」
タリア 「……本艦の戦闘は終わりよ。総員退艦!」
アーサー 「は、はい!」
タリア 「こんな時に悪いんだけど、みんなを頼むわ、アーサー。わたし、行かなくちゃ」
アーサー 「え、あ、はい!」
タリア 「ごめんなさい」

 この場面での、何かを決意した、そして寂しげなタリアの表情。
 これら一連のシーンを見た時、DESTINYの物語とは「敗れ行く者達」の物語だったんだな、と強く感じました。
 勝利の高揚感とはほど遠い、どこか物悲しいストーリー。
▼……うーん、見たばかりの勢いのままに書いているせいか、上記の文章はいささか舌足らずのような気もします。次のような譬えをあげれば、「敗れ行く者達の物語」という表現にこめた意味を理解してもらえるでしょうか。
 すなわち、新撰組の物語。時代の流れに逆らい、そしてその激流に飲み込まれていった男達の物語。かれらは決して最後の勝利者にはなりえません。敗れ行く者達です。ですが、かれらをテーマにした物語においてその存在は輝いている。
 DESTINYもシン達を「夢に挫折した者達」として描くことで、逆説的に輝かせようとしたのだと思うのです。
 要塞メサイアの陥落を目の当たりにし、自分達の目指した理想が潰えたことを察知して号泣するフェイスのシン。
 己を撃ったのが腹心であり被保護者だったレイだと知り、苦笑にも似た表情を浮かべるデュランダル。
 かれらの無念、あるいは諦念の描写こそが、最終話における見せ場だったのではないか、と私は思います。
 だからこそ、その姿を導くためにキラやアスランは圧倒的な強さを蔵した敵手として描かれたのではないかな、と。
▼ラストシーン、崩壊するメサイアを取り囲む無数のオーブ艦隊、そして宇宙空間を埋め尽くすオーブMS群。
 かれらが不気味な威圧感と沈黙をもって見守る中、メサイアの中では最期の別れを告げる人達の姿がありました。

タリア「あなたも…よく頑張ったわ。だからもういい」
レイ「お…かあさん……」

 やがて爆発するメサイアを見守る悲痛な表情のルナとシン、そして刀折れ矢尽き傷だらけの姿で身を寄せ合うインパルスとデスティニー。
 この物悲しさの流れる最後の映像は、やはりDESTINYが「敗れ行く者達」デュランダルやシン、レイの物語だったという証だと思うのです。

▼さて、最終回について語りたいことはまだ山ほどあるのですが、今は一休みして、PHASE-47について。
 「ミーア」というタイトルのついたこの回は総集編でした。
 どうして最終回に向けて盛り上がるべきところで総集編など挟んで物語の勢いを殺ぐのか、当初は不思議でなりませんでした。
 ですが、48話以降の3回の放映を見た後では納得がいったような気がしています。
 総集編の前、46話までは明らかにキラ達が主役の物語でした。
 ですが、47話で総集編をはさむことで一度物語の流れを止め、二週間の間を置くことで視聴者の頭をリセットする。
 そういう意図があったのではないでしょうか。
 キラ達ではなく再びシンやレイに視点を持っていくために。
 実際、48話以降はレイとシンの物語でした。
 48話で、シンに己の夢を託すレイ。
 49話で、レイに託された理想を受け止めることを決意するシン。
 そして50話で、夢破れるかれらの姿。
▼DESTINYは全編を通した主役のいない物語だったと思います。
 小説でいうなら、一本の長編小説ではなく、何本かの短編小説を繋いで作り上げた物語ではないでしょうか。
 だから、アスラン受難編、シンステ悲恋編、シン復讐編、カガリ復活編……のようにメインとなるキャラがその時その時で違うのではないかな、と。

[17-10-01]

「傲慢だね。さすがは最高のコーディネイターだ」

デュランダル 「やめたまえ。やっとここまで来たんだ。そんなことをしたら、世界はまた元の混迷の闇へと逆戻りだ」
キラ 「……」
デュランダル 「私の言っていることは本当だよ?」
キラ 「そうなのかも知れません。でも、僕達はそうならない道を選ぶこともできるんだ。『それ』が許される世界なら」
デュランダル 「ふむ……だが誰も選ばない。人は忘れ、そして繰り返す。もう二度とこんばことはしないと、こんな世界にはしないと、一体誰が言えるんだね?」
キラ 「くっ」
デュランダル 「誰にも言えはしないさ。むろん君にも、彼女にも……やはり何も分かりはしないのだからな」
キラ 「でも、僕達はそれを知っている。分かっていけることも、変わっていけることも。だから明日が欲しいんだ。どんなに苦しくても『変わらない世界』は嫌なんだ!」
デュランダル 「……傲慢だね。さすがは最高のコーディネイターだ」
キラ 「傲慢なのは貴方だ! 僕はただの……一人の人間だ! どこもみんなと変わらない。ラクスも! でも、だから貴方を討たなきゃならないんだ! それを知っているから!」
デュランダル 「だが、君の言う世界と私の示す世界。皆が望むのはどちらだろうね? 今ここで私を討って、再び混迷する世界を君はどうする?」

 前作SEEDのラストでクルーゼと相対した時もそうでしたが、キラには相手のロジックに対抗できるだけのものがありません。
 デュランダルやクルーゼは「僕は違う!」「僕達はそうならないはずだ!」というキラの叫びに対して、『若いな』という感じの微苦笑を見せることはあっても、感じ入った姿を少しも見せたりはしません。キラがどんな言葉を紡ごうとも、かれらは微塵も動じないのです。
 別の言葉で表現すれば、『子供の理屈に振り回される大人はいない』ということでしょうか。
 デュランダルもクルーゼもキラよりも年長者で、豊富な人生経験の持主です。
 もしかすると彼らもかつてはキラのように考えていた時期があったかも知れません。
 『夢見れば、そしてそれに向かって努力すれば、必ず全てはうまくいく』と。
 けれど、長い人生の中で、色々と経験を積み、挫折を繰り返し、物事はそう上手くいくものではないことを実感するようになった。
 だから、デュランダル達はキラの“力”に脅威は感じても、彼の言葉に感じ入ったりはしないのでしょう。
▼キラはデュランダルに向かって言いました。

キラ 「覚悟はある。僕は戦う」

 彼は真摯な少年です。逃げ出すことはしないでしょう。
 ですから──DESTINYの物語が終わった後も、この誓いの通り、キラは目指す世界のために戦うことでしょう。
 今はまだいい。彼はまだ『そのため』の戦いを始めたばかりだから。
 けれど、この後、10年、20年と戦い続けて──戦いに倦み、疲れ果てた後、それでもまだ胸を張り、真っ直ぐな瞳でかつての少年の日と同じことを言えるのでしょうか。
 「僕達はそうならない道を選ぶこともできるんだ」と。
 その時こそ、キラはこの日のデュランダルの言葉を思い出すのではないでしょうか。苦い悔恨をこめて。

「人は忘れ、そして繰り返す。もう二度とこんばことはしないと、こんな世界にはしないと、一体誰が言えるんだね?」

 次のSEED第三部では、10年くらい経って、少年時代の戸惑いも情熱も薄れかけてきた頃のキラの物語が見てみたいです。
 その時、彼はどのような大人に成長しているのでしょうか。かつての少年の頃の魂の輝きを持ち続けているのでしょうか。

[17-10-02]