「地球の人は荒れるだけでしょ?」(ミライ・ヤシマ)

村人 「連合は皆殺しだ! 一人も逃がすな!」
村人 「おう!」

 今回のラストで、村人達が連合兵士を私刑、虐殺する場面がありました。
 また、民家から村人が物資を略奪する場面も。これは恐らく連合軍への協力者の家を襲っていたと思われます。その家の住民の運命は推して知るべしです。
 そんな村人達の行動を見ていると、とてもかれらに共感する心境にはなれません。
 そして、アスランも村人達の様子を眉を顰めて見守っていました。
 なぜ、製作者はこのような勝利の爽快感とは無縁の場面を入れたのでしょう。

▼ここで思い出した会話がありました。『逆襲のシャア』におけるアムロとブライトの会話です。

アムロ 「シャアは俺達と一緒に反連邦政府の連中と戦ったが、あれで地球に残っている連中の実態がわかって、本当に嫌気がさしたんだぜ」
ブライト 「そりゃあわかってる」
アムロ 「それで、すべての決着をつける気になったんだよ」

 『逆襲のシャア』では、ミライもこんなことを言ってました。

ミライ 「シャアならやるわ。母さんも昔戦ったことがあるからわかるの。地球の人は荒れるだけでしょ? シャアは純粋すぎる人よ」

 やはり、アスランは宇宙世紀シリーズのシャアと同じ役回りなのかも知れませんね。(※)
 軍人ですらない普通の村人でさえ容易に今回のような凶行に及ぶ事実。
 今後アスランが似たようなことを何度も目にするならば、やがて「嫌気がさし」ても不思議ではありません。『こんな連中のために自分は戦っているのか…』と。

※もともとアスランとシャアには強い共通点があります。
 宇宙移民者達のリーダーとして強いカリスマを備えた父を持ち、その父の幻影に悩まされているという。

▼『逆襲のシャア』において、シャアは人類の抹殺を図りました。
 ただ、『Zガンダム』においてアムロやブライトもシャアと同じものを見、同じ経験をしたはずです。しかし、彼らはシャアのようには行動しませんでした。
 作中、アムロはシャアに向かい昂然と言い放ちます。

アムロ 「貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない!」

 アムロやブライトがシャアと違い「人類に絶望」しなかった理由は何でしょう。
 それは素直に考えるならば、『何らかの希望を持てる経験をしたから』ということになると思います。
 アムロやブライトにあって、シャアには無いもの──それは『己を受け入れてくれる仲間』の存在ではないでしょうか。
 『機動戦士ガンダム』のラストでアムロは言いました。

アムロ 「まだ…僕には帰れるところがあるんだ……こんなに嬉しいことはない」

 この暖かい気持ちはこの時その場に居合わせたホワイトベース・クルー全員が感じていたことでもあると思います。

▼とても大切な人達がいる──ならば、その人達の幸せを踏み躙るような真似など、できるはずがありません。これがアムロやブライトがシャアの人類粛清に加担する気になれなかった最大の理由ではないでしょうか。

 ……ん? アスランにはとても大切な人達がいますね。
 カガリやキラ、そしてラクス。
 彼らはアスランがどういうことになっても、世界中を敵に回しても、彼の味方となる人達でしょう。何があっても受け入れてくれる仲間。
 とするならば、アスランがいくら人間の救いようの無い暗黒面を見続けたとしても、カガリやキラ達がいる限り、彼が『逆襲のシャア』におけるシャアのように「人類に絶望」することは無さそうです。
 そう、彼女達がいる限りは。

▼……ですが、カガリなり、キラなりを喪った場合、アスランはどうするでしょう。
 再び『逆襲のシャア』からの引用です。

シャア 「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ。そのララァを殺したお前に言えたことか!」

 シャアがララァを喪わなかったならば、彼にもまた別の運命が待っていたのではないかと思えてなりません。
 そして、アスランがシャアと同じ運命を担うことになるならば、そのためには……

▼以上の予想はアスラン=ラストボス説で書いてみました。
 個人的にはカガリ・キラ・アスラン・ラクスのメイン四人組はSEEDシリーズが続く限り安泰のキャラだと思っているのですが(笑)。

 アスランがシャア化しないならば、今回のように残虐場面を彼に見せたのは、彼がZAFTに留まっている現状に疑問を抱くようになるための伏線ではないかな、と思います。

[17-02-20]