「幸せのコーラサワーになりました」

コーラサワー「不死身のコーラサワー改め、幸せのコーラサワーになりましたァァ」

▼や、「生きてましたァ、カティィィ」「心配かけおって……」という感じのやり取りはあるだろうな、とは思ってましたが、まさかこう来るとは。
予想よりも一歩も二歩も三歩も四歩も前進していて、とても嬉しいコーラサワーの復活でした。
▼それにしても、見ていて笑顔になれるラストというのは、やっぱり良い物ですよね。
『OO』と同じ方がシリーズ構成&脚本を担当されていた、『無限のリヴァイアス』という作品もそうでした。笑顔になれるハッピーな終わり方でした。
だから、ラストに関して不安は無かったんです。安心して見ていられた、と言いますか。
ただ、最終回まで生き延びることができるか、という問題はあったわけで。お気に入りのキャラが生き延びたらこっちのものさー、という感じで見ることができます、この脚本家さんの場合(笑)。
なので、脚本家買い……という言葉があるかどうかは知りませんが、この人物が脚本を担当していたから『OO』を見続けていた、というのは確かにあります。
▼もちろんアニメのような集団で創る作品において、監督の影響は甚大なわけで。
その意味で『OO』の監督さんはこのシリーズで初めて知ったのですが、今後要チェックの監督さんだな〜と思っています。SFファンとしても、ガンダムファンとしても。
『ファウンデーション』シリーズや『幼年期の終り』、さらにはおそらく『エンダーのゲーム』など、随所に散りばめられた過去の名作へのリスペクト……と言いますか、SFファンをニヤリとさせる演出やアイテムには痺れっぱなしでした。アドレナリンが噴出しまくっていたと申しましょうか(笑)。
▼そして――
最後に現れた一連の英文字。

The Childhood of Humankind Ends

『幼年期の終り』でしたね
もっとも、クラークの小説の原題は『CHILDHOOD'S END』ですから、多少アレンジされてはいますが。
そして、何よりも……画面に映る木星の姿。さらには2010年の劇場版公開。
これは…………続編は2010年宇宙の旅ということですね♪
※『幼年期の終り』の作者でもあるアーサー・C・クラークは『2010年宇宙の旅』(2010: Odyssey Two)という小説も書いていて、その目的地は木星なんです。
 もう何といいますか、最後までSF者のマインドをくすぐってくれる演出でした♪


「敵はガンダムタイプ」

刹那「あ、あれは……ガンダム!」

▼変形したリボンズ・キャノンを見て驚くせっちゃん。
そうか、せっちゃんの中ではあれはガンダムなのか。
リボンズ・キャノンというステキな名前があるのに……。
張り切って命名して、自己紹介までしたリボンズがっかり。
と言うよりも、せっちゃんにとってモビルスーツが「ガンダム」である基準は?
……と思っていたら、こんなことを言ってましたよ、フェルトさんが。

フェルト「ケルディム、敵機を撃破! 残る敵はガンダムタイプだけです」

そうか、フェルトにとってもあれはガンダムなのか……。
リボンズが張り切ってリボンズ・キャノンと命名したのに。
と言いますか、敵の新型MSを同じように「ガンダム」と呼んだ、刹那とフェルトのシンクロっぷりにニヤニヤしてしまいました(笑)。
やっぱりお似合いじゃないかな、このふたり――と思います。
▼一方その頃リボンズは、といえば――

リボンズ「ツインドライブシステムが自分だけのものと思ってもらっては困るな」

得意そうです。鼻息荒そうです。心の中ではきっとおおはしゃぎです。
で、でも違う。違うよ。せっちゃんが驚いているのはツインドライブのことではないのです。
「ガンダム」に驚いているのです……。


「援護しますよ」

リヴァイヴ「援護しますよ、リボンズ・アルマーク」
リボンズ「ふ、余計なことを」
ヒリング「ヴェーダのバックアップがなくたって!」

前回、ティエリアが言っていました。イノベイドは本来イノベイターの出現を促すために創られた存在だと。
とするならば、刹那がイノベイターとして覚醒した今となっては、リボンズではなく、刹那に協力するのが筋だと思われます。ティエリアと共にヴェーダに宿ったリジェネがそうしているように。
だけど、リヴァイヴもヒリングもそのようには動きませんでした。リボンズの側につきました。
そんな彼らに向けるリボンズのまなざしも……「余計なことを」と呟いた口調も優しいもので。
「愛いやつらだ」と思ったのでしょうね。
リボンズはイノベイドの「創造者」と自称していましたが、それは要するにイノベイドたちにとって彼は「おとうさん」ということであるわけで。
すなわち、この助勢の場面は「イノベイドとしての義務」ではなく「家族の絆」を優先した描写だと言えるんですよね。
きっと歪む前のリボンズは、イノベイドたちにとって「大好きなおとうさん」だったんだろうな、と。
いえ、今も「大好きなおとうさん」のために戦い、そして散っていったんですよね……。

次回は、もうちょっとだけリボンズと――そして沙慈ルイと刹フェルについて。

[21-03-29]

「でも彼女はここにいる」

ルイス「見て、新しい連邦大統領よ」
沙慈「カタロンの人達もいる」

▼この場面、よく見ると沙慈もルイスも指輪をしているんですよね(沙慈がベッドの上でルイスの傍らに座っている場面)。
何というか……感無量です。
24話の沙慈は指輪をペンダントのように首から吊していました。
それはおそらく、もう指輪をすることができない、と泣いていたルイスを気遣って。
だけど、今は二人とも指輪を本来あるべき場所にはめている。
たったそれだけのことですが、それでもとても嬉しいですよね。
結局、このラストシーンでかれらの指輪が画面で大きくクローズアップされることはありませんでしたが、でも、だからこそ、今の二人にとっては自然なあり方なんだろうな、と思います。

▼そういえば、以前掲示板でこんなことを書きました。
 > いずれにせよ、沙慈ルイスキーとしてのせっちゃんの戦いはまだまだ続くはずです。
 > 何といいましても、せっちゃんの知っている沙慈とルイスの関係は、
 > 今のどこか翳りのある二人ではなく、
 > 第1期の頃の典型的なバカップル状態なわけですから、
 > 当然、彼としてもあの頃の二人を取り戻すために全力を注ぐに違いないのです。
 > と言いますか、隣人のバカップルぶりを呆れたり迷惑に思ったりするどころか、
 > ひそかに萌えていたと思しきせっちゃんに萌え、です(笑)。
だけど――
沙慈とルイスの表情を見、かれらの会話を聞いていると、せっちゃんの望んだバカップル復活(←や、別に刹那が明言したわけではありませんが/笑)はどうやら難しい気がします。
とはいえ、今の沙慈とルイスも落ち着いた感じの良い雰囲気ですよね。

沙慈(ルイスの体を蝕んでいた細胞障害はその進行を完全に止めた。それも刹那の放ったあの光のおかげなのだろうか。真実は、その理由は分からなくても、でも彼女はここにいる)

お互い様々な痛みを経験して、それを乗り越えて。
何も知らなかった、無邪気だった少年少女のあの頃には戻れないけれど、絆はより深く、強くなって。

▼OO1期に登場した時、沙慈はどこにでもいそうな少年でした。思い返せば、気弱そうな表情が特徴的だったような気がします。
そのメンタリティはおそらく現代日本人と変わりなく……それだけに2期の環境は彼にとって相当過酷なものだったと思います。
沙慈に起こったことを我が身に置き換えてみれば分かります。
反政府組織の構成員に疑われて強制収容所に入れられ、殺人マシーンに危うく殺されかけ、戦闘体験とも訓練とも無縁のままいきなり戦場を連れ回され、さらにはイノベイターだのアロウズだの世界のえげつない裏側を見ることになり……
どれひとつとっても、そのまま心が折れてしまいかねない状況でした。
けれど彼は生き残りました。
生き地獄の中を彷徨って……それでも心を病むこともありませんでした。
それどころか、失ったはずの恋人を取り戻し、“平和な日常”への帰還を果たしました。
そして、極めつけはこの台詞です。

ルイス「ねえ、沙慈。世界はこれからどうなるのかな」
沙慈「正直、ボクにも分からない。でも、ボクたちは無自覚ではいられないと思う。平和の中にいたボクらは、現実を知り、戦いを知り、その大切さを知った。考える必要があるんだ、本当に……平和を求めるなら。世界について考えることが」
ルイス「うん」

ルイス・ハレヴィという、かつてはアロウズを財政面から支えていた――つまり世界に巨大な影響を及ぼすことのできる女性と共に歩むことを決意した以上、沙慈のこの台詞はただの言葉の連なりという以上の重みを持つと思います。
ふたりで一緒に考えて、考えて……そして世界を変える。誰か(例えばリボンズやイノベイドたち)に言われるままに行動するのではなく、戦いを恐れて逃げるのでもなく、自分達の頭で考え、世界と正面から向き合う。そして、それができる“力”がハレヴィ家にはあると思います。
沙慈の言葉に頷いた時のルイスの毅然とした表情も、そのことを裏打ちしているんじゃないか、と。
…………実のところ、今回の政変劇――「新大統領」の誕生にハレヴィ家の財力が関与していたとしても、さほどおかしくないと思っています。
というのはさておき。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、とも言います。
日常に戻った彼が、世界の暗部で起きたこと、経験したことを、今の自分には無縁のものとしてその記憶を封印してしまっても、誰にも咎めることはできないでしょう。
ですが、沙慈は穏やかな日常に逃避するのではなく、世界の恥部と正面から向き合うことを選んだようです。ルイスとともに。
……その頼りなげな風貌に惑わされず、その言動を客観的に捉えるならば、かなりタフな心の持主だということが分かります、沙慈・クロスロードという青年は。
そして、10代半ばの少女だった頃に、おそらくは沙慈のそういう“本質”をいち早く見抜いて、彼に惹かれていたルイスの慧眼。
………………という理屈は実はどうでも良くて。
沙慈の肩にことんと頭を載せて――彼を信頼しきった表情が愛らしい♪
うん、長々と書いてきたのは、このことを言いたかっただけのような気がします(笑)。

……予想以上に沙慈ルイ感想が長くなってしまいました。次回こそ刹フェル。

[21-03-30]

▼昨日の続きです。
沙慈とルイスについて。
柔らかな日差しの中、病室の窓辺でルイスを見守る沙慈の姿を見て、最初は別の感想を抱いていたんです。
かれらはこれからは穏やかな日常に埋没していくんだろうな、平穏で少し退屈かも知れないけれど幸せな日々の中へ――
という風に思っていました。
実際、沙慈の表情やまなざしには魔王から美姫を奪還した勇者の荒ぶる高揚感のようなものはまるで感じられなくて。
▼最初に違和感を感じたのは、沙慈の述懐と一緒に流れた各地の人々の様子を見たときです。
幾つかの先進国と思しき都市の人々の姿が映し出されました。
この時、沙慈はこんなことを言っていました。

沙慈「平和の中にいたボクらは、現実を知り、戦いを知り、その大切さを知った」

ここでいう「ボクら」とは誰のことなのでしょうね。
「ボクたち人類は」という意味なのでしょうか。
でも――
戦火に苛まれた中東の人々はともかく、画面に登場した先進諸国の人々は「平和の中に」はいましたが、「戦いを知」ったわけではありません。
現代日本の私達同様、かれらは現実に戦いの場に身を置いたわけではありません。
確かに中東地域や軌道エレベータ直下の都市群は戦火に晒されました。
けれど、先進諸国が戦場になったことは『OO』の物語の中では一度もありませんでした。
他方、沙慈とルイスは実際に戦場を体験しています。第1期は「平和の中」にいて……それが数奇な運命を経て、第2期では「戦いを知」ることになりました。
つまり、沙慈とルイスなら「現実を知り、戦いを知り」、肌で「その大切さを知った」人々だといえると思います。
すなわち、この台詞の中で沙慈が使っている「ボクら」という言葉は、「ボクたち人類は」ではなく、「ボクとルイスは」という意味に受け取るのが素直じゃないかな、と。
そして、上記の言葉に続けて沙慈は言いました。

沙慈「考える必要があるんだ、本当に……平和を求めるなら。世界について考えることが」

このような言葉を口にする今の沙慈は、明らかに以前の彼とは違います。

沙慈「戻ろう、ルイス、あの頃へ! 何もかも穏やかだったあの日常へ」
#19「イノベイターの影」

以前、精神世界で沙慈はルイスに向かってそう言いました。
そう告げた時の彼の念頭には「世界」のことなど存在しなかったと思います。
この時の彼が求めていたのは、日常に帰ることだけでした。
刹那と共に幾つもの戦いを乗り越え、様々な人の悲しみを知り、そして全てが終わった後の沙慈とは違って。

▼一方、ルイスについて。
アロウズが設立されたのは、地球連邦が樹立された後のことです。
ということは、ルイスがいつからアロウズに参加したのかは不明ですが、時系列的にそれはソレスタル・ビーイングとそのガンダムが壊滅した後のことです。
ですから、彼女がアロウズに参加した動機として「ガンダムへの復讐」というのは、論理的にあり得ません。滅びて「もう存在しないガンダム」への復讐というのは不可能なことですから。
もちろん、リボンズに洗脳され、別の思考を植え付けられている状態の時は別ですし、ガンダムが健在であると目の当たりにした後には、眠っていたであろう復讐心を募らせています。
かつて精神世界で彼女は言いました。

ルイス「統一世界、恒久和平を実現するため、私はこの身を捧げたの」

この言葉に続けてルイスはソレスタル・ビーイングへの恨みを吐露していますが、それはソレスタル・ビーイングが復活したからであって、ソレスタル・ビーイングの雌伏中のルイスは「統一世界、恒久和平」のためだけを思ってアロウズに参加していたことは想像に難くありません。
だからこそ、沙慈から離れた。
普通の人としての幸せを求めているであろう沙慈にとって、自分という存在は迷惑以外の何ものでもない……そんな風に彼女は思いこみ、身を引いたのではないかな、と思います。
何よりも、擬似GN粒子に蝕まれた体。
余命いくばくもない……自分に残された時間はもうあまりない。
こんな自分と一緒にいても、大好きな彼に悲しみを与えるだけ。普通の幸せなんか彼にあげることなどできはしない。
ルイスにとって、そのことも沙慈との決別を決断する理由のひとつになったのでは、とも思います。
そのことは、24話のルイスの台詞からも窺うことができます。

ルイス「沙慈、わたし、もう……」

もう「長く生きることはできない」
ルイスの言葉はそんな風に続くはずだったのではないかと思います。
「だから……あなたの、そしてわたしの望んだ幸せは……未来はもうやって来ないのよ」と。
それゆえ、

沙慈「何も言わなくていいさ……わかってる……」
#24「BEYOND」

と告げられたとき、沙慈の腕の中で儚く微笑んだのではないか、とも。
▼ですが………ルイスは復活しました。
GN粒子の光を浴び、彼女は未来を取り戻しました。
同時に、沙慈も変わりました。日常への埋没・逃避を求めるのではなく、どんなに辛くても、苦しくても、世界と向き合うことを選びました。
かつて、ルイスは「恒久和平を実現するため」そ「の身を捧げ」ました。普通の幸せを放棄して。
そのために沙慈との別れを決意しました。彼の夢見る(そして、何も知らなかった頃のルイスも一緒に夢見た)普通の幸せを壊すことを懼れて。
あの時の二人は道を共にすることができませんでした。
だけど……今の彼ならルイスと一緒に歩むことができるはず。
イノベイドの暗躍を知り、ソレスタル・ビーイングの真実を知り、世界の裏側に直面し……それでも臆することなく世界と向き合う決意を固めた彼となら。
“一緒に来て。”
そう告げれば、沙慈は力強く手を握ってくれるはず。
「考える必要があるんだ、本当に平和を求めるなら。世界について考えることが」と語った沙慈に「うん」と身を委ねた時のルイスの心境はそんな感じじゃないかな、と想像しています。
恋人であると同時に、世界と向き合う“同志”でもある。そんな関係。

[21-03-31]
文責・てんま