「死なないでね、刹那」

フェルト「刹那……」
刹那「フェルト」
フェルト「これを」
刹那「花?」
フェルト「リンダさんがラボで育てたんだって。あなたに……あげたくて」
刹那「ありがとう、フェルト」
フェルト「……マリナさんに怒られるかな」
刹那「彼女とはそんな関係じゃない。ガンダムに行く」
フェルト「あ……死なないでね、刹那」
刹那「了解」

▼やっぱりフェルトはかわいいです。
今でこそ沙慈ルイ、沙慈ルイ言っている私ですが、そういえば1期の頃はOOで一番好きな女性キャラはフェルトだったな〜、なんて思い出してみたり。
ついでに1期の終盤、掲示板でこんな感想↓を書いていたことも。
 >特にフェルトとせっちゃん……。前々回にあった「ロックオンへ」の手紙のシーン
 >はかなり好きだったりします。
わざわざこの二人の名前を出していたあたり、当時からかれらの関係がこういう方向へ進展することをひそかに望んでいたっぽいです(笑)。

フェルト「刹那……?」
刹那「フェルト・グレイス、どうした」
フェルト「手紙、書いたの。ロックオンに」
 (中略)
フェルト「…………刹那は、手紙を贈りたい人はいる?」
刹那「…………………いないな」
フェルト「…………そう。寂しいね……」
刹那「寂しいのは、あいつだ」
フェルト「え……?」
刹那「だから、ハロ。そばにいてやってくれ。ロックオン・ストラトスのそばに」
ハロ「ロックオン、ロックオン」
フェルト「……いてあげて、ハロ」
ハロ「了解、了解」
フェルト「ありがと」
刹那「いくぞ、フェルト」
フェルト「はい……!」
 (第1期 #24「終わりなき詩」)

ニールのことが大好きだった子どもたちの、亡き人に対するかれらなりの手向け。
この時、フェルトは初めて刹那・F・セイエイという無表情な男の子の中に秘められた、無骨で不器用な優しさに触れたんじゃないかな、と思います。
(このひとがこんなことを言うなんて意外)……と言いたそうな表情でした、この時のフェルトは。
この会話から四……いえ、五年ですか。
時は確実に人々の上に流れていて。
ニールを追慕し泣いていた子どもたちは大人になって。
色々と変わったんだな、と感慨に耽ってしまいそうです。
▼とはいえ、今回のこのシーンを手放しで喜んでいるわけでもなくて。
あのケースに入っていた花。
フェルトさん、その花は何ですかいったい?と最初見た瞬間、ビクゥッとなりました。
刹那とフェルト……思いっきりどちらかの死亡フラグっぽいじゃないですか、と。
もっとも、「花」は「F91」では、未来を掴むためのとても重要なアイテムとして使われた、という前例もあるのですが……。

モニカ「シーブック、あなた以外に誰があの子のことを思ってあげられるの?」
シーブック「でも……でも……何も感じられないんだ!」
モニカ「だったら引き寄せなさい。それができるのも、人の命の力なのよ?」
シーブック「引き寄せるったって……………………ハッ、あの光は……………!」
モニカ「何? どうしたの?! 感じられたの、セシリーを?!」
シーブック「違うんだ。あれ、花なんだよ。セシリーの花なんだよ!」
モニカ「セシリーの花?」
シーブック「セシリーに決まっているじゃないか!」
(「機動戦士ガンダムF91』)

フェルトのくれた花が「F91」のように「OO」でストーリーに関わってくるとしたら、次↓のような感じでしょうか。
被弾し宇宙空間へ放り出される刹那。そのまま行方不明に。
そして戦闘終了後、彼を捜すソレスタル・ビーイングの面々。
だけど見つからない。
そんなとき、白い花が宇宙を流れて。
フェルトが叫びます。
「あれ、花なんです、刹那の花なんですよ!」
そしてその花の流れていった先には…………
…………って、これでは「F91」そのままですね(笑)。
……………………と言いつつ、この場合、フェルトと刹那の立場が逆のほうがありそうかも、とこっそり思っていたりもします。
最終回の前の回あたりでフェルトが生死不明になって……という感じで。
そして最終回のCパートで虚空を漂うフェルトを発見。ほろ苦さを漂わせつつ、それでもハッピーエンド。

▼ちなみに、今回、こういう場面がありました。

刹那「行こう、月の向こうへ」

仲間達の顔を一人一人見つめ、その表情を確認した後、刹那は横を向き、そして顔をあげて↑のようなことを言いました。
直接フェルトの姿は映ってはいませんが、この場に居合わせた人物どうしの位置関係、刹那の目線の方向から推測するに、この時の彼の視線の先には明らかにフェルトがいます。
皆に向かって言ったのではなく、明らかにフェルトのことだけを見つめて、このように大切な台詞を。
だから、フェルトも勇気を出せて…………そして花のシーンに繋がるのかな、と。
▼そういえば、もしかすると、この場面↓における刹那を見つめるまなざしが、フェルト的には精一杯の好き好き光線なのかも、と少しだけ思っております。

刹那「俺達は変わる。変わらなければ未来と向き合えない」
フェルト「刹那……」

刹那のことをそっと見つめるフェルト、かわいーです。控えめな薄幸少女という感じです。
▼とはいえ、2期全体の流れから見ると、上記のフェルトと刹那の会話は唐突っぽい気がしないでもありません。
ですが、1期の「ロックオンへ」のシーンが実は伏線だった、ということもありそうですし………………何より、明示的な描写は無いにしても、今回の刹那が実はフェルトを見つめながら「行こう」と言っていたように、フェルトの視線の先にはいつも刹那、刹那の視線の先にはいつもフェルト……のような描写が、(普通に視聴しているだけでは気づくことができないまでも)今までのお話の中でもさり気なく挿入されていた、ということもあるかも知れませんね。
……もっとも、そのことを検証するのは困難極まりない作業になりそうで、もちろん行うつもりはないのですが(笑)。
とりあえず、今言えることは、フェルトがんばれ〜、と。がんばって生き残れ〜、と。
▼何より、とても大切なことがあります。
とても大切な約束が、フェルトにはあります。

クリス「フェルト……いる?」
フェルト「います……!」
クリス「もうちょっと……おしゃれに……気を遣ってね……」
フェルト「そんなこと……」
クリス「ロックオンの分まで……生きてね……」
フェルト「……っ!」
クリス「お願い……世界を……変えて……お願い……」
(第1期 #24「終わりなき詩」)

……う。
台詞の確認のため24話を見直していたら、涙腺が……
「生きてね」
クリスはそう言いました。
フェルトにとって、とても大切な約束。
最期の瞬間まで、自分ではなくフェルトのことを心配してくれた……親友であり“お姉さん”でもあったクリスのためにも、フェルトには幸せになってもらいたいな、と。

[21-03-08]

「世界の行く末は市民の総意によってのみ決められるものだ」

マネキン「アロウズ艦隊に勧告する。
  我々は決起する。
  悪政を行う連邦の傀儡となったアロウズはもはや軍隊ではない!
  世界の行く末は市民の総意によってのみ決められるものだ。
  我々は貴様らの蛮行を断罪し、市民にその是非を問う」

▼マネキン大佐の立ち位置はどのあたりにあるのでしょうね。
「世界の行く末は市民の総意によってのみ決められる」という言葉は、すなわち、イオリア・シュヘンベルグという個人の計画が「世界の行く末」を決することを否定するものです。
すなわち、イオリアの計画を金科玉条としていた、かつてのソレスタル・ビーイングのあり方とは決定的に相容れないことでしょう。
ならば、イオリアの計画から逸脱し、自分達の考えで未来を変えようとしている現在のソレスタル・ビーイングならどうか。
難しいところですよね。
確かにひな鳥が巣立つように、ソレスタル・ビーイングはイオリアという親鳥のもとから離れたかに見えます。
ですが結局の所、「ガンダム」という「力」を持った少数のエリートが世界の命運を左右しようとしている図式には変わりないのですから。
他方、ソレスタル・ビーイングのメンバーだって、人外の存在ではない以上、かれらも世界の行く末にもの申す権利をもっていることは間違いないのです。
▼それはそれとして。
今は仮に協力しているにせよ、マネキン大佐が本質的にはソレスタル・ビーイングのあり方を認めないのならば。

ルパン「こっから逃げ出すまで、一時休戦にすっか?」
銭形「よかろう。だが盗っ人の手助けはせんぞ。脱出した後には必ずお前を逮捕するからな」
ルパン「上出来だ。ほんじゃまあ、握手と」
銭形「ふん! 馴れ合いはせん!」
ルパン「あれま」
(『ルパン三世 カリオストロの城』)

23話あたりでこのような調子のやり取りをスメラギさんとの間でしてくれたら、とても楽しいのですが。
「馴れ合いはせん!」という台詞をマネキン大佐が口にするなら「メガネのいいんちょさん萌え」……じゃなくて、それは何事にも筋を通す性格の彼女らしく、とても似合うと思うのです。
そして不死身のコーラサワー氏などは「大佐かっこいい!!!!」と惚れ直すに違いないのです。
▼ところでOO世界のことですが。
「普通の市民」のようすがほとんど描かれませんね〜。
(宇宙艦隊やMSを大量に保有するカタロンのような反政府組織の構成員を「普通の市民」と呼ぶのには抵抗を感じます。)
だから、「普通の市民」が何を考えているかさっぱり分からない。
マネキンが「悪政を行う連邦の傀儡」と非難するアロウズのことも、かれらがどう受け止めているのか分かりません。
これは割くべき尺が足りないのか、それともわざとこのような演出にしているのか……
そもそも「普通の市民」は、果たして連邦の施策を「悪政」と感じているのでしょうか。
いみじくも、かつて沙慈はルイスに言いました。
「戻ろう、あの日常へ」と。
戦場から身を遠ざけさえすれば、今でも「穏やかな日々」に戻ることができる、と彼は考えています。
つまり、彼にとって「連邦の悪政」はリアリティを伴う言葉ではない、ということです。

沙慈「戻ろう、ルイス……あの頃へ。何もかも穏やかだったあの日常へ」
(#19「イノベイターの影)

権力闘争などにかかわらず、平和に、普通に暮らしている人にとっては「連邦の悪政」など思いもよらぬことで……誰だってこんな風に考えているんじゃないかな、と思います。
(ティエリアは「自分のいる世界くらい、自分の目で見たらどうだ」と言い、そのような考え方に否定的でしたが。)
だとするなら、マネキン達の決起も、刹那の標榜する「人の革新」も、人々の多くに対して、さしたる感銘を与えることができずに終わるんじゃないかな、という気がします。
ソレスタル・ビーイングの行ったことも、マネキン大佐たちの行ったことも、永い人類の歴史の中に埋もれていくちょっとしたアクシデントにすぎない……もしかすると、そういう無常観を漂わせたラストを迎えるのかも知れませんね。

[21-03-14]
文責・てんま