「そう、オレは変革しようとしている」

リジェネ「ついに覚醒が……」
  (中略)
刹那「わかるような気がする……イオリア・シュヘンベルクがガンダムを……いや、GNドライブを造ったわけが」
ブシドー「なにっ」
刹那「武力介入はこのための布石。イオリアの目的は人類を革新に導くこと。そう、オレは変革しようとしている」

リボンズの予想した通り、OOガンダムが刹那の「変革」を促しているようです。
いえ、刹那の言葉を借りるなら、正確には「GNドライブ」が促しているというべきでしょうか。
ということは、太陽炉を積んだ正規ガンダム……ソレスタル・ビーイングに属する他のマイスター達にも「変革」の機会が訪れる可能性がある、という予想をたてても、そんなに的外れではないかな、と思います。
実際、ロックオン(ニール)が気になる台詞を口にしています。

ニール「刹那、お前は変われ。変わらなかった、オレの代りに」

ニールは言いました、「変わらなかったオレ」と。
ここで疑問が浮かびます。
彼は「何に」「変わらなかった」の、と。
GNドライブが人に「変革」を促すというのなら、それは「イノベイターに」「変わらなかった」、すなわち、「イノベイターに変わる機会を放棄した」という意味だと推量することも許されると思います。
ちなみに、このニールの台詞は、#15「反抗の凱歌」において刹那の夢の中に現れた彼が残していったものです。その台詞の前半部分は以下の通り。

ニール「刹那、過去によって変えられるものは今の自分の気持ちだけだ……他は何も変わらねえ。他人の気持ちや、ましてや命は」
(#15「反抗の凱歌」)

放映当時、この夢のシーンについては「ニールは刹那の中でこんなにも大きな存在、支柱なのだ」という解釈をしていましたが、今は少し違います。今回、気になる場面があったからです。
ライルが刹那を背中から撃とうとし、しかし、結局果たすことはできずに終わった場面。
以下はその際の台詞です。

ライル「ああ、そうさ、イノベイターの野郎をぶっ潰す。カタロンでなければソレスタル・ビーイングでもなく、オレは、オレの意思で奴らを叩く。だがな。
…………………………………くっ、兄さん……」

銃を取り落とした時、ライルは呟きました。
「兄さん」と。
今までライルは兄のことをこんな風に回想したことはありませんでした。
ずっと離れて暮らしていて、それほど思い入れもなかった、とアニューにも明言しています。
つまり、ここで兄を思い出すというのは不自然なのです。
ここで上記15話の刹那の“夢”について思い返してみます。
もしかすると、この時、具体的な描写はされていませんが、ライルはニールの精神体、霊体と邂逅したのではないでしょうか。
そして、刹那が“夢”の中で出逢ったニールも、実は単なる夢ではなく、精神体、霊体としてのニールではないでしょうか。
「逆襲のシャア」におけるララァとアムロの接触、「SEED DESTINY」のシンとステラの“再会”など、一見、夢の中のような場所で故人の霊と対話を持つというのは、ガンダム・シリーズでは実のところ、そんなに珍しいことではありません。
上記に引用したニールの台詞「変えられるものは今の自分の気持ちだけだ……他は何も変わらねえ。他人の気持ちや、ましてや命は」――これは刹那に向けられたものでしたが、アニューを殺された復讐心に囚われている今のライルに対しても言えることだと思います。もしニールがライルの前に現れたのだとしたら、そのようなことを口にして弟を諫めたのではないでしょうか。

……長々と書き連ねてきましたが、要するに、ライルも「変革」に向かいつつあるのではないかな、と思うのです。
この項、もう少し続きます。

▼それはそれとして、ルイスの疑似GN粒子に蝕まれた体も、刹那がそうであるように、OOの“力”によって回復するといいな。

[21-03-01]

▼ガンダムの宇宙世紀シリーズでは、人類の進化形として「ニュータイプ」と呼ばれる人々が登場しました。
『OO』においても同様の存在として「イノベイター」が登場します。
ただ、両者の描かれ方には決定的な違いがあります。
『F91』では主人公シーブックが次のようなことを口にしています。

シーブック「ぼくやセシリーが何でモビルスーツを扱えるようになったか……そんなことは戦争が終わってから考えましょうよ。でも、ニュータイプって人類の革新――戦争など超えられるって説もありますよね。もしそうなら、ぼくらを糸口にして、人類全体がニュータイプになる方法を考えるのも、悪くないんじゃないですか
(『機動戦士ガンダムF91』)

また、『逆襲のシャア』では、アムロとシャアが次のようなやり取りをしました。

シャア「地球は人間のエゴ全部を呑み込めやしない!」
アムロ「人間の智慧はそんなもんだって、乗りこえられる!」
シャア「ならば、今すぐ愚民ども全てに叡智を授けてみせよっ!
クェスそうよ、それができないから
(『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』)

つまり、「全ての人類の革新」は理想であるけれども、宇宙世紀シリーズにおいてそれは夢物語に近いものと捉えられているのです。
ところが、『OO』は違います。「全人類のイノベイター化」が夢物語ではない明確な計画目標として語られています。
今回、刹那が明言しました。
「イオリアの目的は人類を革新に導くこと」と。
あと数話。
この先、物語はどこまで進むのでしょうね。
「全人類のイノベイター化」まで進むのか(例えば、最終回のCパートで「数十年後――」のようなモノローグを付けて「外宇宙へ進出する人類の様子」を俯瞰的に描けば、尺の問題も発生しません)。
それとも「やっぱりダメでした」で終わるのか。
そしてもし「全人類のイノベイター化」まで描くとするのなら、それは人にとって幸せなのか、不幸なのか。
「人類の革新」と呼べば聞こえは良いですが、要するに、感情も思考も気持ちも他者に筒抜けの状態で永久に固定されるわけで……個人的にはかなりお断りしたいです(笑)。
言ってみれば、人類ごと『マクロスF』のバジュラと似た存在になってしまうわけですからね〜。

[21-03-05]
文責・てんま