「誰かに希望を託そうとしている」

五十嵐「……音無。見ろよ、あれだけ絶望してた連中みんな、誰かに希望を託そうとしている。お前がみんなの人生、救ったんだぜ。音無……なあ、音無……聞いてんのかよ……」

今回も音無が男前すぎる……。
この世界のすべてのものに対して、彼は深い愛情を抱いていたんだろうな。そう思わずにはいられない最期の数日間のエピソードでした。
アニメで涙腺が緩んだのはずいぶんと久しぶりのような気がします。
そして音無だけじゃない。
五十嵐もとても良いキャラでした。
確かにどの場面でも音無が最初に動きました。
とはいえ、続く者がいなければ、彼の行動は無駄に終わってしまうわけで。ただの道化になってしまいかねないわけで。
だけど、あの場には五十嵐が居合わせた。
彼が音無に続いてくれた。
最初に動く者には勇気がいるでしょう。
でも、彼のすぐ後に続く者にだって気力が必要です。勇気が必要です。
先導者の意図を汲み取り、皆に伝える智慧と理解力が必要です。
たとえば――

五十嵐「こうしておけば自分の命がもし尽きても、それでもその命が人のために使われる。生きてきた意味が作れるんだ」

このドナーカードの場面だって、五十嵐の言葉が無ければ、皆には何も伝わらなかった。
音無にとってあの場に五十嵐のようなパーソナリティの持主が居合わせてくれたこと。
それはとても僥倖なことだった……と思います。
弓が無ければ――弦だけでは、ヴァイオリンも音を鳴らさないのですから。


「そんな記憶を永遠に背負い続けていこうとしているあいつだからこそ」

音無(だからこそ。そんな記憶を永遠に背負い続けていこうとしているあいつだからこそ、救ってやりたい。できるんだろうか。この不器用な天使と)
かなで「?」
音無(頼りねー)

「ほえ?」となる「かなで」の表情がかわいすぎ! この凶悪なまでのかわいさ、まるで小悪魔……ではなくて、まさに天使!
……や、この場面で言いたいのはそういうことではなくて。
「かなで」の意図、ゆりには分かっていたんじゃないかな、と思います。
「かなで」のことを「不器用」と喝破していた彼女のことです(EPISODE.01)。「学園」の存在意義について薄々勘付いていたとしても不思議ではない。
だけど、分かってはいるけれどやめられないことってありますよね。
「救ってやりたい? 大きなお世話よ! あたしにだって分かってるわよ、このままじゃいけないってことくらい! でも、仕方ないじゃない! あの子たちを忘れて、あたしだけが幸せになれるわけなんてないじゃない! あの子たちを忘れるなんて、あたしにはできない。あたしまで忘れてしまったら……あの子たちの人生はいったい何だったの、ということになるじゃない……」
という風な気持ちでいるんじゃないかな、と。

さらに言うなら、もしかすると、ゆりは現時点ですでに音無と「かなで」の協力関係についても何か察知しているのかも知れません。

大山「にしても、あの子、ここ数日のこと、すべて忘れちゃったみたいだったね」
高松「当然です。100の方が勝ったんですから。我々を襲った方が」
日向「ほんとに一瞬仲間になれると思っちまったぜ。あーくそーっ」

この場でゆりは黙々とペンを走らせ、日向たちの会話に加わろうとしなかった。
この態度、いささか不自然な感じがします。
「かなで」のパーソナリティが本来の彼女に戻っていることを察知していて、だけど黙っているとするならば――
ゆりは「戦線」の皆が「満足」して「この世界」を「卒業」することを容認する気持ちになっているのかも知れません。
かれらが幸せになれるならそれでいい。「神」に抗うというのは、結局のところ自分だけが固執している、自分だけのわがままなのだから、と。
そのように考えることが、ゆりのような「お姉ちゃん」の心意気、というものじゃないかな、と。

※「竹山クライスト」の「反省文」に「立華かなで」とありましたね。「かなで」の字は「奏でる」の「奏」なのかな、と思っていました。


[22-05-29]
文責・てんま

「若者たちの魂の救済場所」

音無(ここは若者たちの魂の救済場所だったんだ。日向もあのセカンドフライを捕っていれば、報われて消えていたんだ。何てお節介をしちまったんだ、俺とユイは。岩沢はそれを自分の力で達成して報われて消えていった。誰もここにいたくているんじゃない。人生の理不尽に抗っているだけなんだ。それをかなでは『そうじゃない』と、理不尽じゃない人生を教えてあげたくて、人並みの青春を送らせてあげたくて、ここに留まろうとするかれらを説得してきた)

「この世界」から消えること。それはすなわち次の転生の機会を得た、ということを意味する。それは第一話から言われていたことですし、「戦線」メンバーの共通の理解でもあります。
だけど、かれらは次の転生を望んでいません。
それはそうでしょう。
かれらには凄惨だった生前の記憶がある。
かれらにとって、生きることとは辛く忌まわしい日々の積み重ねにすぎない。
そうであるならば。
生まれ変わってもまた悲惨な生涯を繰り返すのならば、新たな人生など歩みたくない。
気の合う仲間とおもしろおかしく過ごす「今の生活」を続けて何が悪い。
そのように考えるのは不自然ではないし、むしろ当然とも思えます。
だから、かなでは行動する。
悲惨な人生ばかりじゃない、と。楽しい日々を送ることだってできるのよ、と。
その可能性をかれらに伝えるのがこの「学園」。
もちろん、人生って楽しいことばかりじゃない。だけど、辛いことばかりあるわけでもない。
だから、どうか前に進む勇気を出して、と。
かれらが次の一歩を踏み出せるように。
――というのが、この場面における音無の推測したかなでの内心だと思います。

※ちなみに、性格のきつそうだったあの赤い目をした「分身」なら、「いつまでモラトリアムに浸っているつもり?」とクールな声と瞳でずけずけ言いそうな印象が……

だけど、それはあくまでも音無やかなでが前向きな魂の持主だからこそ、とても強い心の持主だからこそ、たとえ倒れても立ち上がって前よりも力強く歩み出すことのできる存在だからこそ、可能なんだろうな、とも同時に思ってしまうのです。

現在第一話がWeb上で公開されている「Track ZERO」では、ゆりと日向がこんな述懐をしています。

「地獄なんてものがあったら、ここがまさに地獄よ。こんな惨たらしい生前の記憶を持たせたままにして、こんな世界へ放り込むなんて」(「Track ZERO」第一話)
「あんな人生で……心の整理なんてつく日が来るのだろうか……。
 ああ、だから時間は無限にあるのか。
 よくできてやがる……。
 なら、まさにここは地獄かもしれない。」(「Track ZERO」第一話)

トルストイの小説に「光あるうちに光の中を歩め」という作品がありますが、誰もが「光の中を歩」いていけるわけではない――ということを『Angel Beats!』の中で体現しているのが、ゆりというキャラクターなのかな、と思います。

ところで、「Track ZERO」でゆりはこのような台詞も口にしています。

「あたしたちはここで最後に心の整理をして、成仏し、生まれ変わる」(「Track ZERO」第一話)

音無の推測、そしてかなでの言葉が真実であるならば、ゆりは独自の観察と推論からこの世界の核心に辿り着いていたということになります。
同じ結論に辿り着いて……だけど、両者のとろうとしている行動はまったく別のものになろうとしています。
片や「神」への反抗を。
片や「この世界」からの「卒業」を。

そんな両者の進む道が交わることは、それこそ「回心コンバーション」にも似た劇的な気持ちの変化がない限り不可能にも思えますが……
その場合、ラストはこのような感じになるのかな。
  「戦線」メンバーが一人ひとり消えていって。
  ゆりはひとりぼっちになって。
  (だけど、あたしはひとりでも行く)
  そう呟くゆりの傍らに誰かが近寄って。
  振り返ると日向がいて。
  ま、仕方ねーやな、最初っからのつきあいだしな、最後まで一緒にいてやるよ、と日向は苦笑していて。
  消えたと思っていた「戦線」メンバーも何人かいて。
  ゆりっぺを一人にするなんて危なっかしいし、と付け加える日向に、ゆりは「ふん」と鼻を鳴らして。
  だけど、口元はほころんでいて……
と、こんな感じ?


それにしても。
「何てお節介をしちまったんだ、俺とユイは」ですか。
音無視点でも、あの場面のユイは、一見アホの子のふりをしつつ、実は日向が消えるのを必死で止めようとしていた……と、そんな風に見えていたんですねー。
と、思わずニヤニヤしてしまうわけですよ。

前回の感想でも書きましたが、日向はユイのことを知らなかった。
ということは、「この世界」で彼自身の気づいてない間にユイに好かれるようなことをしていたか、あるいは「この世界」に来る前に何らかの関係があった、という可能性があると思うのですけれど、実際、どうなのでしょうね。
もし現世でユイが日向のことを知っていたとしても、野球部だった日向のファンだった、とかその程度なのかも知れないですね。
ちなみに、日向とユイの特殊なところは、ユイは日向のことだけ「センパイ」と呼び、日向はユイの名前を一度も呼んだことがないあたりなのですが……「センパイ」の呼称は現世でもユイにとって日向が同じ学校の先輩だったからなのかな、と妄想したりもしております。


[22-05-30]
文責・てんま

「二人の見張り」

日向「TKと松下は?」
ゆり「保健室よ。二人の見張り」
日向「TKはあれで全然英語駄目だからなあ」

今回の「校長室」における一連の会話には色々とヒントが隠されていそうです。
まず、「天使の見張り」ではなく「二人の見張り」とゆりは言いました。
すなわち、ゆりにとって、今や「天使」だけでなく「音無」も監視の対象であるということです。
そして、保健室を監視させていたということは、音無とかなでの会話を窃聴できたということに他ならず、音無の計画についてゆりが把握している可能性は極めて高いということ。
ただ、音無がいくら策略を張り巡らせようと、各人が「納得」し「満足」しなければ「この世界」から消えることはありません。
つまり、音無の計画を知った上で、もし、ゆりがあえて動かない場合、上で書いた通り、「戦線」メンバーが「納得」をして自ら消えるのである以上、それはそれで構わない、という心境に彼女があると見て良いでしょう。
もっとも、音無を泳がせておくため、という可能性もありますが。

※そもそもTKと松下五段がちゃんと見張りの任務を果たしていたかと言うこと自体、甚だしく疑問ではあるのですが。何か踊ってましたよね、あのふたり(笑)。

直井「データをすべて消してログインパスワードを変え、すべての能力を封じるということか。だがそれは一時凌ぎでしかない。分かってるのか」
ゆり「わかってる。いつか突破されて、またデータを打ち込まれる」
野田「ならばマシンごと破壊してしまえばいい」
ゆり「マシンはコンピュータ室の備品としていくらでも代わりはあるの。ソフトも同様」

ゆりは言いました。「マシン」も「ソフト」も「いくらでも代わりはある」と。
ですが、AngelPlayerで開発した能力はかなでにしか使えないようです。
かなで以外にも使えるのならば「戦線」メンバーも能力を獲得してしまえば良いだけの話です。それだけで「天使」の脅威はゼロに等しくなるはずです。
つまり、かなで自身は「天使」であることを否定していますが、「天使」という名称かどうかは別にして「この世界」における特殊な存在であることはどうやら確実のようです。

※と言いますか、いくらでも代わりがあるのなら、データを消す意味はないんじゃないかなあ。
むしろ直井の台詞は視聴者に対するミスリーディングになっていて、実は竹山たちの行っている作業はデータの消去などではなく、既存の能力に改竄を加えてトラップを仕込んでいるんじゃないかな、という気もします。

ユイ「ありゃー? 今日の皆さんは頭良さそうですよ? 悪いものでも食べましたかー?」
ゆり「あとは天命を待つだけね」
ゆり(果たして神は誰に味方するのか)

「下手の考え休むに似たり」という言葉がありますが、この場面におけるユイの台詞は「深刻になりすぎても良くないですよー。もっとポジティブにいきまっしょ」と言いたいのかな、と思いました。
こういう台詞を口にできるあたり、実はユイが「戦線」の中で一番達観しているんじゃないかな、という気がしております。
そしてゆりの台詞。
「神は誰に味方するのか」
「どちらに味方するのか」なら、「戦線」か「天使の分身」の二択でわかりやすいのですが、「誰に」という言葉を使っているあたり、そう単純に解釈することはできなさそうです。
「誰に」というのは、「音無に」とか「かなでに」のように、特定の個人を指す言葉です。
要するに、この場合、「神様に贔屓してもらえるのは誰?」と問うているわけです、ゆりは。
それでは、ゆりの言う「誰」とは、誰々のことを指しているのでしょう。
まず当事者である「かなで」と「かなでの分身」。彼女たちは「誰」の中に含まれるでしょう。
ですが、この二人だけなら「誰?」ではなく「どっち?」という言葉を使うほうが自然です。
つまり、他にもいる。
たとえば「音無」とも考えられますが、彼の場合、「かなで」と利害が一致します。ですから、この場合、彼とかなでを分けて考える利益は少ない。「神」が「かなで」と「音無」のどちらに味方をした場合でも、「かなで」も「音無」も同時に得をするわけですから。
実のところ「かなで」とも「かなでの分身」とも利害の対立している存在は「音無」とは別に存在します。
すなわち、「ゆり」。
もしかすると、ゆりは自分にも「神」が「味方する」可能性があると考えているのかも知れません。
確かに、「神」に抗うと言い続けてきたのにそれはおかしい、とも思えます。
ですが、「この世界」のルールを作ったのが「神」ではないとゆりが考え始めているとすれば。
凄惨な記憶を保ったまま「この世界」に自分たちを呼び寄せたのが「神」ではない、と彼女が考え始めているのだとすれば。
すなわち、端無くも「Track ZERO」でゆりは「地獄なんてものがあったら、ここがまさに地獄よ」と言っているわけですが、「この世界」のことを真実「地獄」であると彼女が考え始めているのだとすれば。
「この世界」からの脱却を目的としている音無とかなでの行動に、あえて掣肘を加えようとはしないんじゃないかな、と。

……などと長々と書きましたが、実のところ、今後しばらくは成仏を謀る音無と彼に対抗するゆりの間の駆け引きや心理戦が展開されることを期待しているのですけれどね。


[22-05-31]
文責・てんま

「過去の話」

音無「まずはあいつらから過去の話を聞き出さなきゃならない。でも敵を失った今のままじゃ、ゆりの目を盗んで動くことは不可能だ。だから、かなで。お前は生徒会長に戻って欲しい。また奴らと戦って欲しい。そして俺の指示通り動いて欲しい」
かなで「うん。あたしに向いてる作戦ね」

というわけで、予告によれば次回はどうやらユイメインの回のようですね。
音無は「まずは過去の話を聞き出す」と言ってますから、まだ「卒業」のための行動はとらないはずですが、ドジッ子ボーカルのユイにゃんさんのことだからなー。「ついウッカリ」で消えてしまうかも知れない。そんなことになったら泣くに泣けないですよねー。

で、「過去の話を聞き出す」ために音無が命じた指示がこれですか。

[c44]「お前のギターのせいでバンドが死んでいる」

……かなでも、音無の志はともかく、彼の描いたシナリオはあまり信用しないほうがいいんじゃないかなあ。下手に策を弄するよりも、音無の場合、真っ向勝負でぶつかるほうが良い結果が出ると思うんだけどなあ。もともと熱い性格なんだし。
や、まあ、台詞を棒読みしている時点で、かなでも音無のシナリオについて色々思うところがありそうですが(笑)。
それはともかく[c44]の台詞のあと、かなで(もしくは音無)がギターを弾くことになって、

[c47]「やっぱりただ者じゃない!」
[c47]「音がわかるのよ」

という評価をかなで(もしくは音無)が受けるという展開になるのでしょう。
そして、入江と関根がかなでに懐く、と。
う。それならかなり楽しみかも。
他方、その展開にユイにゃんはガルデモの中で疎外感を味わうことになって、それでも、

[c75]「やりたかった事の一つにすぎないよ」

と、強がって見せるのでしょう。健気な……
もっとも、あっけらかんとした表情で[c75]の台詞を口にするのかも知れませんが。
すなわち、公式サイトで見ることのできる動画版の予告には、ユイがベッドに横たわっているシーンがありました。
前の世界のユイが病弱で、寝たきりで過ごしていたのだとすれば(彼女のしている「手錠」はもしかするとベッドから離れることのできなかった過去の暗喩なのかも知れませんね。そしてそれが今は千切れているというのも)、色々な活動ができることが今はとにかく幸せ、バンドをすることもその一つだったんだー、ということなのかも。
そしてこんな台詞を口にするのかも知れません。
「うん、確かに今は色々なことができて幸せ。だけどーユイにゃんはこうも思うのですよ。ちゃんとした学校生活も送ってみたいかなって」
寝たきりで学校に満足に通えなかったとしたなら、普通のスクールライフにユイが憧れているとしても、不思議ではないと思います。
だから、NPCとはいえ学園に「友人」を作ったりもしたのではないかな、と。
だけど、「戦線」メンバーである限り、「普通の」スクールライフは望めません。
で、その話を聞いた音無がいつものように同情心を掻き立てられて、

[c105]「わかった! 俺が叶えてやる!」

と、なるんじゃないかな。
あるいは、ユイが望んだのは「とにかくみんなでわいわい楽しむこと」かも知れません。ひとりぼっちでベッドの上で過ごしてきた昔の彼女にとって、大勢の仲間と騒ぐひとときはとても貴重に思えたでしょうから。
それでとりあえず「戦線」メンバーで球技大会を開催してみたのかな、と。
その場に日向も居合わせて、ユイのことを気遣う素振りを見せたなら、かなりグッドなのですが。

[c185]「俺たち男が勝つ!」
[c192]「かくごー」
[c210]「てめぇ、どっちの味方だよ!?」
[c218]「奇跡だ!!」

なぜ男女でチーム分けということになったのかはまるで不明ですが(笑)、男子チームが劣勢で試合は進むみたいですね。で、最後に「奇跡」が起きる、と。
気になるのは次の台詞。

[c289]「あたしの幸せ… 全部奪っていったんだ…」

ガルデモが消えて、日向も消えて、その原因が音無にあると知って、悲しげに呟いた台詞……という可能性も無きにしもあらずですが、とりあえずそれは低いんじゃないかなと思います。
なぜなら、音無の現時点での目的は「戦線」の仲間たちの「過去の話を聞き出す」ことにあります。
それ以上はまだ行う予定ではないはず。
このことは次の台詞からもうかがえます。

音無「あいつらも、俺みたいな報われた気持ちになってさ、みんなでこの世界から去れればいいなって」

一人ずつではなく、「みんなでこの世界を去」りたい、と音無は言っています。そのことは、

音無「卒業させよう、みんなを、ここから」

という台詞にも現れていると思います。
「卒業」って、一人ずつするものではなく、同期の仲間が「全員で」するものですよね。
どのような手段で全員同時の「卒業」が可能なのかは分かりませんが、とにかく、そのために全員の過去話を知る必要があるというのが、現時点での音無の考えだと思います。
だから、[c289]の台詞はおそらくユイが己の過去、「この世界」から去ることができないでいる核心に当たる部分を語っている言葉だと思うのです。
……はっ、[c289]といういかにもラストのあたりでこの台詞ということは、もしやそのまま次回に続き、第十一話もユイにゃん回かも?!

※あー、でも、直井神の過去話の時みたいに、次の回になったら別のエピソードが始まる……と考えるほうが自然ですね。ちえ。


[22-06-01]
文責・てんま

「思い残すことがなければ」

音無「もしかして俺は消えるのか?」
かなで「思い残すことがなければ」
音無「……あいつらがいる」
かなで「そう。あの人たちとずっと一緒にいたい?」
音無「それは……仲間だからな。いたいさ。でも、今は違う気持ちもある。あいつらも俺みたいな報われた気持ちになってさ、みんなでこの世界から去れればいいなって。また新しい人生も悪くないってさ」
かなで「でしょ」
音無「ああ」

この会話の流れからすると、かなでも過去に今の音無と同じ気分を味わった経験があると考えるのが自然ですよね。
だとするならば、かなでは「NPC」ではないことになります。かつて人間だったということになります。
確かにゆりはそのように推測していましたが、確実な証拠があったわけではありません。
「天使」というポジションの特殊な「NPC」である可能性だってあったのです。
ですが、今回の一連の会話でその可能性はかなり低くなったように思います。
すなわち――
「NPC」は「この世界」独自の存在である以上、生前の記憶は元々有していないはずです。
ですから、かれらには音無の味わったような「報われた気持ち」を知る由もないわけです。
しかし、どうやらかなでは生前の自分が「報われた」と感じたことがあるらしい。
そのことが、すなわち彼女が人間だった証ではないか、と。

ただ、かなではいまだに「この世界」に留まっています。
彼女自身の言葉を借りればそれは「思い残していること」があるから、ということになります。
かなでの思い残していること……それは、今までの彼女の行動から素直に考えれば、「青春時代をまともに過ごせなかった人たち」を「報われた気持ち」にさせて、次の転生に旅立たせてあげること……になるのでしょうが、これも何か違うような気がします。
「青春時代をまともに過ごせなかった人たち」というのは、人類という種が続く限り永遠に生み出されるわけですから、それはとりもなおさず永遠に「思い残していること」が続くことになってしまうと思うのです。
かなでがなぜ「この世界」にいるかについては、今後のストーリーの中で是非語って欲しいことのひとつですね。
……まあ、かなでより以前にも彼女と同じ立場の人物がいて、その人物から現在の「生徒会長」の立場と志――「この世界」に来た若者たちに「人並みの青春を送らせてあげ」るという志――を引き継いだ、という可能性もあるのかな、という気もします。
そしてその人物は自分と同じ志の持主だったかなでに後事を託すことができて、満足して消えた。
そうだとするなら、かなでも自分と志を同じくする音無が現われたことで、彼に後を任せることができ、満足して消えてしまう……とか?
で、そういう志をもった人々が代々受け継いできたのがAngelPlayer……とか?

ところで、音無の「あいつらも俺みたいな報われた気持ちになってさ、みんなでこの世界から去れればいいなって」という言葉ですが、これを率直に日向にぶつければ、案外賛同してくれそうな気もするんですけれどねー。
「また新しい人生も悪くないってさ」というあたり、話す手順を間違えなければ、日向なら「うんうん、そうだよなっ」と同意するんじゃないかな、と。
なにしろ第四話で(そいつは最高に気持ちがいいな)と呟いていた日向です。
彼自身、音無の気持ちは十分に分かるんじゃないかな、と思うのです。
ただ、「Track ZERO」によれば、日向はゆりの最初からの同志。
そうである以上、彼女の気持ちに何らかのケリがつかない限り、日向は「この世界」から去ることを潔しとしないようにも思えます。「この世界」から消えるシステムについて、かなでの口から明言された今ならば特に。
ですから、今後ゆり絡みのストーリーになった場合には、日向がキーパーソンになるんじゃないかなあ、なったらうれしいな?、と。



[22-06-03]
文責・てんま