「そんな人生なんて許せないじゃない」

ゆり「別にミジンコになったって構いはしないわ。あたしは本当に神がいるのなら立ち向かいたいだけよ。だって理不尽すぎるじゃない。悪いことなんて何もしていないのに。あの日までは立派にお姉ちゃんでいられた自信もあったのに。守りたい全てを30分で奪われた。そんな理不尽ってないじゃない。そんな人生なんて許せないじゃない」

そういう理由ならば、怒りを向けるべき相手は「神」ではなく、彼女とその家族の人生を滅茶滅茶にした犯罪者連中の方でしょう。
とはいえ、今となっては、強盗犯どもに対して何ができるわけでもない。
彼女の中で鬱屈した感情が溜まるのも、別の何かに怒りの鉾先が向かうというのも分かります。
ところで、人間のこうした情動を悪辣に利用するのがイデオロギーに染まった国家の権力者。
某国とか某国とか具体的な国名を挙げるのは差し障りがありそうなので控えますが、本来は政府に向かうべき市民の怒りの鉾先を、彼らは巧妙な広報活動や洗脳教育で外国に向かわせてしまいます。

※以下は陰謀論に関心のある者の間では有名な、1869年に行われたとされるいわゆる「追悼演説」の一部ですが、興味深い見解なので参考までに。
「いまひとつの偉大な力は報道界である。新聞は、休むことなくある思想を繰り返すことによって、ついにはそれらの思想を、現実のものだと受け取らせることに成功する。劇場も似たような役を果たしてくれる。」
ちなみに、「陰謀論に関心のある者」といってもそのスタンスはまちまちで、(1)本気で信じている人、(2)信じているふりをして政治利用に供している人、(3)フィクションとして楽しんでいるだけの人……に分けられると思いますが、私は当然(3)のスタンスです。

……もしかすると、ゆりたちの抱いている「神への怒り」も彼女たち自身の自然な感情の発露ではなく、何者かによって意識を操作された結果、という可能性もありますね。
『Angel Beats!』の世界に「神」が存在するのなら、その対極の存在――すなわち「悪魔」が存在しても不思議ではないでしょう。
凄惨な人生を歩み、さらにこの世界でも何者かの駒として利用されているのだとすれば、こんなに哀しいことはないです。


「あなたはわたしが守るわ」

ゆり「馬鹿ね、自殺なんかじゃないわよ。自殺した人間が抗うわけないじゃない。それにこの世界には自殺した人間なんていないわ。さ、行きましょ。あなたはわたしが守るわ」

この世界には自殺した人間なんていない。
ゆりはどうしてここまで自信満々に断言できるのでしょう。彼女はこの世界についての真実――設定をどこまで心得ているのでしょう。

※第五話で「天使」の名前を知っていながら知らないふりをしていたように、彼女は自分の持っている全ての情報を視聴者に対して明らかにしているわけではないし、そもそも、彼女の口にした言葉が全て真実とは限らないことも確かなのです。

それにしても――
「あなたはわたしが守る」ときましたか。
日向にも似たようなことを言われてましたし、今回は音無の姫っぷりが半端じゃないです(笑)。
と言いますか、どうして彼女は音無のことをこんなにも大事に扱っているのでしょう。

※第五話でも音無を対「天使」用のメンバーに加えておきながら、「天使の名前を聞き出すこと」以外の任務(汚れ役)を与えませんでした。

もしかするとこの世界に来る以前から彼らは知り合いで、音無は彼女の弟分のような立場だったのかな、と想像の翼を広げてみます。
だから、ゆりは音無に対して優しいのでは、と。
それならば、第一話の、

ゆりあたしはあなたの味方よ。銃を向けるなというのなら向けないわ。あたしを信用しなさい(EPISODE.01)

という、やや強引で、人によっては押しつけがましく聞こえるかも知れない物言いについても、ゆり的には自然な発言だったんだろうな、と思えてきます。
“弟分なのだから、あたしが彼の味方なのも、彼があたしに付いてくるのも、ごく当たり前のことなのよ!”という感じで。
もっとも、この想像については、

ゆり「そういえば、あなた、名前は?」
音無「ああ、えと、おと…おとなし」
ゆり「下は?」
音無「……思い出せねえ」(EPISODE.01)

第一話で行われた上記の会話がネックとなってしまいますが。この会話から言える事実は「二人が初対面であること」以外にないですよね。

※ただ、このことについても、第五話でゆりが「天使」の名前を知らないと虚言を口にした、くだんのエピソードと同様に、音無の名前についてもわざと知らない素振りをした、という解釈も成り立たなくはないと思いますが……。
その場合は、音無が「自分で」記憶を取り戻すことが、何らかの理由でゆりにとってとても重要なことであって、それゆえ余計な情報を音無に与えたくなかった、という説明ができると思います。ゆり自身、視聴者に対しても色々と隠していることがありそうですし。

もっとも、実は難しいことなど少しも考える必要はなくて、上記の事柄はすべてゆりが「『お姉ちゃんキャラ』として行動しているから」という一言で説明できそうでもありますが(笑)。
つまり、記憶喪失で右も左も分からない音無に対して庇護欲を抱いて、保護者としての役回り、すなわち「お姉ちゃん」としての意識で接しているのかも知れないな、と。
長女として弟妹の面倒を見ながら育ったというゆりは、本質的に世話焼きというパーソナリティの持主だと思うので。


「高校生」

音無「こいつも高校生なのか?」

髭だらけのチャーの貌を見た音無が思わず呟いたひとこと。
まあ、髭の濃淡は個人差があるでしょうからねえ。
というか、何カ月伸ばし続けたらああなるんでしょうねぇ、髭。
それよりも、この音無の台詞で思い出したことがひとつ。
「松下五段」という通り名について第一話で感じたことです。

ゆり「彼は松下くん。柔道五段だから敬意をもって、みんなは松下五段と呼ぶわ」(EPISODE.01)

ゆりの台詞の「五段」という部分に少し引っかかりを感じてしまいます。
講道館の規定によれば、柔道における五段への昇段資格には、男子の場合、
・満20才以上
という条件があります。
つまり、普通の高校生ならば、「五段」というのはあり得ません。

※さらに、「全日本柔道選手権大会、世界柔道選手権大会又はオリンピック競技大会で3位以上」という成績の猛者でも四段になってから1年半以上修行している必要があるなど、修行年数の条件もあるわけで、若年で五段を得るというのは相当凄いこと。

「松下五段」が本当に五段位を獲得しているのならば、彼は結構な年齢であるということになります。
すなわち、生前の彼は高校生ではなく、もっと年嵩としかさだった可能性があるということ。
そうだとするならば、死後にこの学園に集められた者達は生前の年齢に関係なく全員が高校生の頃の容姿に戻ってしまう、という仮説が成り立ちます。

※もっとも、『Angel Beats!』世界の昇段ルールが現実世界のそれと同じであるとは限りませんが。

もし、生前の年齢とは無関係に高校生の姿になってしまうという仮定が正しいなら、次のような仮説も成り立つでしょう。
すなわち、音無も見かけ通りの年齢ではないかも知れない、と。

天使「記憶喪失はよくあることよ、ここに来た時は。事故死とかだったら、頭をやられるから」(EPISODE.01)

「記憶がない」という状態には、ふたつの種類があると思います。
ひとつは元から有していた記憶を失った状態。
もうひとつは、記憶と呼ぶべきほどのものがまだ蓄積していない状態。すなわち赤ん坊。
つまり、音無は嬰児の時、あるいは胎児の時にこの世を去った存在だから記憶がない――と仮定できなくもありません。だから彼には記憶がないし、いまだに戻らないのではないか。
ただ、この仮定の難点は、音無がすでに(人生経験の無い赤ん坊では持ち得ないはずの)一般常識を持ち合わせているということでしょうね。


「何年ぶり」

チャー「何年ぶりだろうな。本当に何もありゃしない」

オールドギルドに辿り着いて、開口一番、チャーが言った台詞。
「何年ぶり」というこの言葉は、第一話でゆりの言った、

ゆり「ちなみにNPCは年を取らない。それはあたしたちも同じ」(EPISODE.01)

という台詞を裏打ちするものです。
そして、「戦線」の発足時期や「戦線」メンバーの本当の年齢(この世界に来てからの年数)や「学園」の進級システム等々、色々と考えさせられる台詞でもあります。
……が、年を取らない世界では、年齢など意味のないものであることもまた事実でしょう。
とするならば、精神の若さをいつまで保てるか、ということがこの世界で生存し続けるポイントのひとつのような気がします。
何度も繰り返される同じような学校生活。
不老不死の存在とはいえ、いつかはその永劫回帰のような生活に飽き、苦痛を感じることもあるでしょう。
永遠に続く代わり映えのしない日々にんだ者にとって、やがてこの世界は留まる価値のない世界と化すでしょう。
「もういいや」と思ってしまうことでしょう。
それこそが秩序に従って模範的な学園生活を過ごす生徒たちがこの世界から消えてしまう理由なのかも知れません。


[22-05-06]
文責・てんま