「それが当時のルルーシュの願いであった」

▼『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメ作品があります。
 この作品では、物語の中盤まで、主人公やその周辺の人間関係はそれなりに良好に見えました。
 ところが終盤に向けて破局が進行し、やがて人々は互いに憎悪を剥き出しにしあいます。
 主人公に至っては、ヒロインを憎み、殺そうとし、敵である「使徒」に対してのみ安息を見出すようになってしまうほどです(映画「まごころを君に」参照)。
 人々の「絆」が崩壊していく物語。
 それが『エヴァンゲリオン』という物語であったと私は解釈しております。

 さて、『コードギアス』のことです。
 今回は学園編とでも銘打つべきコメディータッチの内容で、30分間、笑い通しで……いえ、本当は、ルルのへたれっぷりやカレン&シャーリーの動揺っぷりやナナリーの「にゃあーー」に萌えまくりだったのかな(笑)。とにかく楽しい内容でした。前回、衝撃的な出逢いを果たした姫と「白の騎士」スザクに直接の会話が無かったことがちょっと残念だったくらいです。
 何とも明るいストーリー。
 ただ、以前、ルルについてはこんなことを言われていました。

NA「ルルーシュはこのギアスを武器にブリタニア帝国の破壊を決意する。母の敵を討ち、妹ナナリーの幸せに暮らせる世界を創るためにも。その先に待つのは父ブリタニア皇帝だと知りながら。少なくとも、それが当時のルルーシュの願いであった。」
(STAGE4 その名はゼロ)

 ここで使われている「少なくとも、それが当時の」という言い回し。
 これはつまり「将来的には別のものになる」という意味です。
 大切な人を守るための戦いが、いつしかその意義を変質し、ただの権力闘争になってしまう、というのは十分ありうる展開だと思います。修羅のごとき闘争の中、優しい心が磨耗し、ただひたすら荒ぶる心の持主に変わってしまったとしても、それは不自然なことではありませんから。
 このことに加えて、上記の『エヴァ』の前例をふと思い出してしまったわけで……主人公による「兄殺し」やその他にも鬱勃とした展開になる要素は『コードギアス』には揃っているんですよね。

ユーフェミア「これ、すべてクロヴィス兄さまがお描きに?」
ユーフェミア「優しい色……これが兄さまだったのですね……」

 このシーンで姫が見ていたのは、ルルとナナリー、その母の絵でした。
 それに対する評価が「優しい」です。
 おそらく、クロヴィスはルルやナナリーら異母弟妹達に対してそういう気持ちで接していたのでしょう。
 その兄をルルは殺した。
 このことがこの先の展開にどのように影響していくのか、興味は尽きません。
 わずか二話の登場だったにもかかわらず、クロヴィスはオープニングの中でもかなり大きな位置を占めています。つまり、異母兄を殺したという事実とその記憶が、この先、ルルの中で大きな比重を占めていく可能性は十分にあると思うのです。
 ルル、茨の道を歩いてるなぁ……
 それだけに、以前、同志として招聘した時に、スザクに手を払われたことも、彼にとって相当に大きなダメージだったと思います。
 彼にとって、共に手を取り合えると思えた相手は、今の時点ではスザクだけです。
 そのことは今回の玉城に対する、

ルル「馴れ馴れしい奴だな。このあたりが切りどころか」

 という呟きからも窺えます。彼にとってゲリラはあくまでも使い捨ての「駒」にすぎないのです。
 ……どんなにコミカルな挿話があったとしても、『コードギアス』がピカレスク・ロマンであることは変わらないのでしょう。

[18-11-11]
文責・てんま