ファン小説(TearRingSaga)

2

(あれがリュナン公子ね……)
 森の中、少女は公子に接触する機会を窺っていた。
 同盟軍の指揮官でありながら、リュナン公子の供回りは少ない。
 驚くほどの無用心ぶりと言えた。もはやこの戦は圧勝と考えて油断しているのかも知れない。。
 しかし、だからこそ少女──エストファーネにも彼に近づく機会があると思われた。
(バルバロッサ将軍……バルじいの仇)


「おや、公子。どちらへ?」
 オイゲンの問いにリュナンは、
「小用だよ」
 と答えた。そのまま木の陰に隠れる。
(チャンスだわ!)
 あたかも獲物を狙う鷹のような瞳で、エストファーネはリュナンの挙動を監視していた。
 彼が護衛たちから離れて一人きりになる……これは千載一遇の好機と言えた。
 罠かも、と一瞬疑うが、彼女の存在を知らない公子が何か企めるはずもない。
 そう割り切って、王女はリュナン公子の背後から忍び寄った。


「声を出さないで……」
 公子の喉笛に短剣を凝(こ)らしながら、エストファーネは囁くように言った。
「リュナン公子ね」
「ご婦人からの求愛にしては、なかなかに無骨な表現だね」
 こんな際なのに軽口を叩く公子に、エストファーネは苛立ちを募らせた。
「ふざけないで。自分の立場がわかってないの?」
「真摯に対応したら解放してくれるのかな?」
 余裕の窺える表情でリュナンが言った。か細い少女の手で何ができるか、と嘲笑う内心が透けてきそうな声音だった。
「……少し痛い目を見たいようね」
 エストファーネが脅したそのときだった。
「リュナン様。このような所でご婦人と逢引とは……」
 不意に声がした。藪を掻き分けるようにして、オイゲンと数人の兵士が姿を現した。
「お戻りが遅いので心配して参上してみれば……別の意味で心配の種ができそうですな」
「くっ……!」
 オイゲンたちの登場に、すっかりエストファーネは動揺してしまう。一瞬、リュナンの喉元に突きつけられた短剣の尖端がゆらいだ。
 公子はその機を逃さなかった。エストファーネの手首を払うなり、さっと彼女の間合いから身を遠ざける。そして訊いた。
「その生白い肌や、か細い腕。とても君が兵士とは思えない。なのに、なぜ私を襲った? それとも、薄汚い暗殺者なのか」
「罪に穢(けが)れているのはあなたの方よ! あなたの手も足もカナン国民の血に塗(まみ)れている。何が『英雄』よ! 侵略者! 人殺し! バルじいを返して!」
 エストファーネはほとんど叫ぶように言った。その瞳は憎悪にぎらぎら輝いていた。リュナンは目を逸らしながら、
「今は戦争だ。殺すも殺されるもないだろう……」
 呟くように言った。苦渋に満ちた声色だった。しかし、エストファーネにはただ冷淡なだけのように聞こえた。
「だったら私も殺しなさい! いつもしていることなんだから! そして私の躯(むくろ)をジュリアス叔父様や父様の前に晒せばいいわ!」
 激情に駆られるままリュナンに迫る。
「……」
 リュナンは何も答えられず、呆然と経ち尽くしているように見えた。それはとても悄然としたようすだったので、一瞬、エストファーネの鋭鋒が弱まる。悪鬼のような殺戮者──という、それまでのリュナン公子への印象が揺らいだのだ。
(彼は悲しんでいる……? ううん、そんなはずはないわ……彼はひたすら血と殺戮を好む戦争屋のはず…)
 探るようなエストファーネの視線に気づき、リュナンは苦笑した。傍らに控える老将軍──オイゲンに向かって、
「フッ……格好の人質が飛び込んできた。この子はエストファーネ…バルカ王子の一人娘だ。以前、肖像画で見たことがある。『ジュリアス叔父』とも言っていたし。彼女を拘束しろ」
 と命じる。そのセリフにエストファーネは激昂した。この青年は、人質を盾に進軍する、と恥ずかしげも無く公言しているのだ。やはり、先刻の公子の姿は何かの見間違いに違いない。
「私を人質に……? 何て卑劣な人なの。このけだもの! 正々堂々の戦いはできないの? それでも騎士?!」
 悔し涙を流しながら投げつけたエストファーネのセリフに、リュナンは薄笑いを浮かべた。
(何も知らない小娘が)とでも言いたそうな表情だった。
「私は罪に穢れている。そう言ったのは君だ……戦場に女一人でのこのこ現れて……何が起こるか、少しも考えなかったようだな」
 倣岸たる眼差しをエストファーネに注ぎながら、リュナンは言い放った。
「私をどうしようと言うの?」
 リュナンのセリフに怯えて、エストファーネはじりじりと後ずさりする。リュナンは含み笑いした。
「さてね。私は“ケダモノ”なんだろ?」
 その言葉を合図としたように、兵士達がエストファーネに殺到する。
 剣を振って抵抗するが、所詮は非力な少女にすぎず、あっさり取り上げられ身体の自由を奪われてしまう。
「離せ、無礼者!」
 それでも気位高く、エストファーネは命じた。その様子にリュナンが失笑する。
「さあ、お楽しみはこれからだ……」
 兵士達に拘束されながら、王女は(憎しみで人が殺せたら……!)と心の底から願った。

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