「私はあまり賛成できないわ」
グラーニェが言った。エリオットとラケシスの婚姻についてだ。家族の一員としてエルトシャンが意見を求めたのだ。
「対グランベル戦争の機運が盛り上がりつつあるこの国の諸侯の中で、不戦主義のノディオンが孤立しつつあって……だから、あなたが危機感を募らせておいでなのはわかりますけど」
控え目な口調で王妃は続けた。
「でも、外交の基本は『遠交近攻』なのでしょう? ハイラインといえばすぐお隣さんですよ」
「しかしな」
エルトシャンは難しい表情になって、教科書通りの単純なことを言う妻を見た。
「イムカ様が健在の今はまだしも……シャガール王子が実権を握った暁のことを考えるとね。アグスティ内にも与党が欲しいと思ってしまう」
ポツリと弱気な本音を漏らす。
「そのときはそのときでしょ」
グラーニェが励ますように夫の肩を叩いた。
「アグストリア諸公連合の漆喰を離れて、いっそのことグランベル王国に付いてしまうというのも面白いと思います」
「……大胆な発想だね」
エルトシャンは愉快そうに笑った。妻の冗談と解しのだ。
「だけどわがノディオン王家はアグスティ本家への忠誠を条件に“ミストルティン”を預かっているわけだからなぁ。私は“魔剣”が大好きでこれを手放したくない。私の代でのアグスティ本家からの離反はありえないよ」
「……一振りの剣と国策を等列に扱うは良くないと思いますわ」
グラーニェは少し不満そうに、自分の言葉をまともに取り合おうとしない夫の顔を見た。
「それにね、話はラケシス姫のことに戻りますが、やっぱり政略結婚はかわいそうだと思うの。好きな人と結ばれるのが一番ですわ」
それを聞いたエルトシャンの顔色が変わる。
「……?」
グラーニェは不思議そうにエルトシャンを見つめた。
「きみは、そのう……」
エルトシャンはおずおずと妻に尋ねかけた。
「はい?」
いきなり沈んでしまった良人を不安そうな面持ちで見遣りながら、グラーニェは彼の言葉を待った。
エルトシャンはしばらく逡巡していたが、
「私と結ばれたことを……その、後悔しているのだろうか?」
言ってしまってから、「しまった」という顔つきになる。言わずもがなのことだからだ。
グラーニェは瞳を真円に見開いた。
「ごめん……埒も無いことを訊いてしまった」
エルトシャンは俯いて呟くように言った。
(……この方はどうして唐突にこんな話題を口にされたのかしら? 結婚以来そんなことをずっと気にしていたの? それとも……)
グラーニェは夫の真意を図るように少しの間だけ考えていたが、
「あのね、あなた」
「うん?」
エルトシャンが返事すると、
「まずはこちらを向いて話してくださいな」
グラーニェは俯いている良人の頬を両手で包んだ。エルトシャンの顔を自分の方に向けるのかと思いきや、そのまま彼女が夫の真正面に移動した。そして彼の眼をのぞきこむ。
「あなたは初めて会った時のことを覚えてらっしゃる?」
「ああ」
何しろひと目惚れだったから……とは口に出して言ったことがない。
「私ね……」
言いかけて途中で口を閉ざした。グラーニェの頬がやや赤い。
「……」
やがて心を定めたらしい。再び言葉を紡ぎだす。
「私、初めて出会った時から……あなたのことがずっと好き。あの時あなたに恋をしたの……それでもやっぱり『政略結婚』と呼ぶのかしら?」
情感をこめて告白するグラーニェを、エルトシャンは固唾を飲んで見守った。妻の言葉が終わった後、彼はゆっくりと手を伸ばしてグラーニェの肩に載せる。
「私……いや俺も……」
グラーニェの体を引き寄せると、緊張し掠れた声でささやいた。
「俺もきみのことを……あの日からずっと焦がれていたよ。きみでなくては嫌だと、あの時そう思ったんだ」
「……」
良人の腕の中でグラーニェが肩を震わせた。
「グラーニェ?」
王妃はくすくす笑っていた。
「あなたも……なの?」
「ああ」
エルトシャンは照れくさくなって頬を掻きながらうなずいた。
「だとしたら……ねえ、私たち、変な遠慮をしていたと思わない?」
「そうだな。俺とのことを『ただの政略結婚』ときみは思っているのだと考えると、いつも無性に切なく寂しい気分になったよ」
「それは、私もよ」
グラーニェは甘えるような声を出した。
「所詮お飾りの妻だとあなたが考えてるのじゃないか。そんな風に思うと、いつも居たたまれない気分になったの」
その時の想いが蘇ったのかグラーニェの瞳が揺れた。
エルトシャンは黙って妻を抱きしめた。
グラーニェは良人の胸にもたれかかり、そっと身を委ねた──
「ね、あなた」
しばらくしてグラーニェが言った。
「何だい?」
腕の中にいる妃の髪を撫でながら、エルトシャンは尋ねた。
「私たち──これからは誰憚ることなく仲良くしましょうね」
妻の言葉を聞いたノディオン王の手が不意に止まった。
「……?」
「そ、それはどうかと俺は思う。人前で平然と唇を重ねたり、玉座で君を膝の上に乗せたり……すまないが俺にはとてもできそうにない。そのようすを想像しただけで、は、恥ずかしいよ……」
豪奢な容貌を苦悶に歪めながら、エルトシャンは質実剛健……といえば聞こえは良いが、要するにシャイな性格を露呈した。もちろんグラーニェはエルトシャンのそうした奥ゆかしい部分も大好きだった。
「誰もそこまでは言ってませんよ」
目を逸らし初々しく赤面する夫を見つめながら、グラーニェは楽しそうに返事をした。