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ラケシスは早鐘のような胸の高鳴りに困惑していた。
城下町の巡邏を終えた騎士たちが帰還する時間帯は既に調査済み。
兵舎に戻る前にフィンが一人きりになる場所も、偶然知ってしまった。
兵舎から少し離れた林の中。彼はそこで槍を振り、鍛錬を行うのだ。
(そろそろ戻ってくる頃合ね)
そう思うとドキドキが高まってきた。少し胸が苦しい感じ。深呼吸をする。
抱きかかえた包みには、手作りのチョコレートケーキが入っていた。例の恋歌を聞いて以来、ひそかに練習してきたもので、ちょっとした自信作だった。
(エルト兄様に知られたら、『王族が厨房に入るなんてはしたない』とお説教されそうね)
その点、シグルド軍で自由に振舞えることをラケシスは喜んでいた。
他国の軍隊が王都に駐留していることには、また別の感想があるのだけれど。
(素振りを終えて一息ついた彼……)
(そこに私が姿を見せる)
(そして、さりげなく提案)
(『疲れたでしょう。甘い物はいかがですか』って)
うん、これで万全。
頭の中で何度も繰り返した演習を思い出し、ラケシスは一人うなずいた。
(大丈夫、大丈夫)
呪文のように口の中で呟きながら、フィンの姿を求めて林へと向かう。
木立の陰に身を潜めて、フィンの登場をしばらく待つことにした。
(遅いわね……)
また胸の鼓動が早まってきて、ラケシスは息苦しさを覚えてしまう。
やがてフィンが現れた。
「フィン殿……!」
『さりげなさ』を装うはずの最初の計画をすっかり忘れて、ラケシスは思わず大きな声を出した。満面の笑みを浮かべて青髪の騎士に駆け寄ろうとする。
「ラケシス王女」
フィンも笑顔を見せてくれた。
……と、ラケシスの動きが不意に止まった。
フィンは両手いっぱいに荷物をかかえていた。
王女は不吉な予感に襲われた。チョコレートケーキの入った箱をささっと背中の後ろに隠す。
「……? いかがなさいました?」
フィンが怪訝そうな顔をした。
「ううん、何でもないのよ。何でもないの」
ラケシスは作り笑いを浮かべた。
「それより、フィン殿の持っているもの……それ、なぁに?」
「チョコレートだそうです。城下を警邏中にいただきまして」
フィンが屈託無い笑顔で答えた。
(やっぱり……!)
ラケシスは一瞬、くらりと眩暈を覚えた。競合者(ライバル)が多いことは何となく予想していたが、まさかこれほどとは。フィンの腕の中には様々な色の包みが小山のように存在するのだ。
「フィン殿っておもてになるのね」
駄目だと思いつつ、つい嫌味の一つも言ってみたくなる。(まだ)言い交わした仲では無いが、他の女性たちからの貰い物を手にしてヘラヘラ笑っている様子には釈然としないものを感じる。
「は?」
刺のある王女の視線を受けて、フィンは首をかしげた。
「……『もてる』というのはどういう意味でしょう。以前、迷子になっている子供を助けた時の親御さんや、ひったくりから贓物を取り戻してあげた老婦人から頂いた物とか、そういうものばかりなのですが。あのご婦人方は良人やお子さんのいる方ばかりだと思いますよ」
冷静な声で説明する。
「え」
ラケシスは困惑した。予想外(ある意味、いかにもフィンらしいとは言えたが)の返事に言葉を詰まらせてしまう。
「ところで、ラケシス王女」
固まってしまったラケシスの傍らにフィンがつかつかと歩み寄った。
「な、なに?」
勘違いから怒ってしまった手前、妙にばつが悪かった。
「何だか不機嫌なご様子でしたが、私がチョコレートを貰うと王女に何か不都合でもあるのですか?」
「え……えーと……」
ラケシスはうろたえた。まさか、こう来るとは。
王女は思わず俯いてしまう。頬に血の気が集まってきた。
「ラケシス王女?」
返事を促すようにフィンはラケシスの横顔をじっと見つめた。
「あの……その……」
その視線に晒され、上手な切り返しも思いつかず、ラケシスの頬が桜色に染まっていく……
恥らうラケシスの様子にフィンは満足そうに微笑した。そして、王女の耳元でささやく。低い……けれど、とても甘い声で。
「知っていますよ、『シレジアの恋』の詩のことは」
「……!」
ラケシスの肩が震えた──