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バーハラ士官学校は外界と隔絶された環境に存在する。
将来を担う人材を遊興所等で潰してしまわないように、とのアズムール王の方針に基づく。
全寮制であり、家族の慰問も月一度だけという徹底ぶりだった。
それゆえ、週に一度の郵便物が配送される日を心待ちにしている生徒も多い。外部との接触にそれだけ飢えているあかしといえた。
今週は手違いにより予定日が四日も遅れた。家族の送る故郷の菓子や果物、あるいは残してきた恋人からの文を渇望する生徒たちにとって、実に待ち遠しく狂おしい日々だったようだ。
エルトシャンにその手紙が届いたのは、慰問日前日のことだった……
夕食後、手紙の受け取りから戻ったエルトシャンが同室の二人に蒼白な顔で告げた。
「明日、妹が来る」
「ほう?」
ベッドの上でごろごろしていたシグルドが身を起こし、嬉しそうな顔をする。
「アグストリアきっての美姫と評判のラケシス王女か。それは楽しみだ」
ニコニコと破顔して、本当に嬉しそうだ。
「まだほんの子供だぞ。俺達より何歳も年下だ」
エルトシャンが注釈を入れた。
「誰から聞いたか知らないが、『美姫』と呼ばれるような歳じゃない」
「じゃあ将来が楽しみだな!」とシグルドはめげない。
一方キュアンは興味なさそうな表情で、ブランデーをちびちび舐(な)めている。
全寮制のこの環境のどこで仕入れたかは謎だ。それ以前にキュアンは未成年である。
「で、どうしてそんなカオをする? 入校以来初めての来訪なんだ。もっと喜べよ」
とシグルド。彼の場合、月一度の慰問日は毎回エスリンが顔を見せてくれる。しかし、エルトシャンをラケシスが訪ねるのは初めてなのだ。
「そういえば……妹姫を溺愛してるとの噂の割には今回が初の来校か。……もしかして愛情の一方通行?」
とキュアンが気の毒そうな顔で口を挟んだ。
「違う」
冷めた瞳でエルトシャンは親友二人を睨(ね)めつけた。
「慰問日のことだが……ラケシスは毎回『来たい』と手紙をよこした。何しろあいつはお兄ちゃんっ子だからな」
「『お兄ちゃんっ子』」
「エルトよ……そんなことを自分で口にして恥ずかしくないか?」
キュアンとシグルドの冷やかした声に、エルトシャンが額に青筋を立てた。後の『獅子王』はくわッと眼を開き、
「人の話は最後まで聞け! 大体だ、ラケシスに『来るな』と言い続けたのはこの俺だが、お前らのせいでもあるんだぞ!」
「なんで?」
キョトンとした顔でシグルドが訊く。自分なら来たがる妹を止めることは絶対無いからだ。
「呼べばいいのに。私も会ってみたいぞ。美少女……いや、この場合は美幼女なのか?……まあどちらでも構わんが、目の保養になるならいつだって大歓迎だ」
「……ふぅ……」
シグルドの言葉を無視し、エルトシャンはため息をついて自分達の部屋を見渡した。
キュアンのスペースにうず高く積まれた酒瓶の山。
ゴミと私物の混在したシグルドのスペースは、もはや人間の住処とは思えない。
「……はぁぁぁ……」
……エルトシャンは再び深く深くため息をついた。そして、吃っと顔をあげると、
「こんな場所に呼べるか! まるで豚小屋じゃないか!」
と吐き捨てるように言った。
「エスリンは気にせずやって来るぞ?」とシグルド。
「エルトだって似たようなものだろ。脱ぎ捨てた服や読みかけの本が雑然と」
シグルドとキュアンが一斉に抗議する。エルトシャンは一瞬、うっと言葉に詰まったが、
「朱に混じって赤くなったんだよ、キュアン! それとだ、シグルド。エスリン嬢は小さな頃から貴様のだらしなさに慣れているだろうが!」
と反撃した。
「ラケシスの前で俺は完璧な兄を演じてきたんだ。それをこんな……」
「『完璧な兄』ねぇ……」
シグルドとキュアンは顔を見合わせた。そしてどちらからともなくニヤリとほくそ笑む。
ぶちぶち文句を言っていたエルトシャンがハッと気づいて、
「そうだ、明日までにこの部屋を何とかせねば! 二人とも、大急ぎで掃除だ!」
と焦ったように口にした。
「別にいいじゃないか、メンドクサイ」と親友の一人。
「……シグルド、お前は俺の話を聞いてなかったのか?」
「聞いてたよ、カンペキナオニイサマ」
もう一人の親友がにたぁと笑った。不吉な予感にエルトシャンが身震いする。
「そろそろ妹の前に、本当の自分を曝(さら)してもいい頃じゃないかな?」
そう言いつつキュアンはエルトシャンの肩を鷲掴みした。
「今の俺が『本当の自分』なものか!…って、酒くさっ!! キュアン、お前酔ってるな」
「……酔ってるさ。血の色の夢にな」
「何を意味不明なことを!」
キュアンから漂う酒精のにおいに閉口しながら、エルトシャンがもがく。
「ちっ、てこずらせやがって。おい、シグルド、そっちを押さえてくれ」
「了解。済まんな、エルトシャン」
少しも済まなそうでなくシグルドが言った。万力のような馬鹿力でエルトシャンの両腕を封じる。
「お前ら放さんか!」
エルトシャンが怒って喚(わめ)いた。
「ダーメ」
シグルドが飄々と答える。
「今夜は飲み明かすぞ……って言うか、飲め! どうせ明日は休日だ!」
けらけら笑いながらキュアンがグラスにワインを注ぎ、エルトシャンの口元に押し付けた。
「誰が飲むかっ! 明日は大事な……」
抗議するエルトシャンの言葉を遮って、
「ほぉら、アルスター産の七三八年物だぞぉ」
と甘い声で囁く。
「……うっ」
エルトシャンの喉元がびくっと震えた。それに気づいたキュアンが嬉しそうに、
「喉が鳴ったな。ふふふ、体は正直なものよ」
グラスから漂う逸品の香りに、エルトシャンは抗しがたい魅力を感じてしまった……