ファン小説(TearRingSaga)

伝えられなかった言葉

作)てんま

 グエンカオスは倒れた。ここにゾーア帝国の中枢は壊滅し、大陸に再び平和が到来したのである。
 もっとも、それが恒久的なものとなるかは人間たち自身の肩にかかっていたし、おそらく多くの人々は悲観的な見解をもっていたにちがいない。
 しかし、たとえ束の間であろうと、血塗られた日々から解放されたのは事実だった。
 そして、戦士たちにも別れの日が訪れる──


「私たちもここでお別れです。セネト、ネイファ。カナンへは……あなたたちだけで行かなければ……わかっているのでしょう?」
 と母上が言った時、ついに『その日』がきたと知った。
 ひそかに怖れていたように泣きじゃくることはせずに済んだ。
 傍らで妹のネイファが泣いていたからかも知れない。
 兄としてのプライドだけが、その場で僕に毅然とした態度を保たせてくれた。
「セネト……ネイファ……体には気をつけるのですよ。遠く異郷に暮らしていても……私はあなたたちを見守っていますから……あなたたちと過ごした至福の日々を……決して忘れたりはしないから……」
 そう言う母上──カティナの瞳は潤んでいた。
「カティナ、未練がすぎる。別れはもっと潔く済ませるものだ……行くぞ!」
 怒ったようにお祖父様──テムジンが言った。そして、カティナを促すと、くるりと背中を向けた。
 だけど、僕は見逃さなかった。傭兵王と呼ばれた稀代の英雄……彼の肩が震えていたことを。
 さよなら、母上、お祖父様……
 僕は呟いた。
 去って行く二人を見送りながら、ネイファは僕の腕にすがってすすり泣いていた。
 その哀しい声を耳にしているうちに、僕の頬を一筋、冷たい雫が流れた。
 不覚にも涙を堪えられそうになかった。
 ひとたび涙腺を緩ませたら、とめどなく泣いてしまう。そんな予感が僕の胸の裡にあった。
 だけど、僕の顔を見つめる視線に気づいた。
 ティーエが気遣わしげな眼差しを僕に注いでいた。
 僕はちょっぴり瞳を潤ませたことが照れくさくなって、ニヤリと微笑んで見せた。
 すると、ティーエは言った。
「泣きたいときは、素直に泣けばいいのに。とても哀しそうに笑うのね、セネト」
 その科白はと胸をつくもので……
 ティーエ……彼女は誰も知らない、気づいてないはずの僕の本当の心を、いつでも見抜いたことを思い出す。
「……だけど、男が泣くわけにはいかない。そうだろ?」
 僕はつとめて冷静に言った。けれども慄える声が、僕の態度を裏切っていた。


「……そうね。セネトはお兄ちゃんだものね」
 しばしの沈黙の後、ティーエが呟くように言った。
「ネイファを守ってあげなくちゃね」
「言われるまでもないさ……」
 僕は妹の肩に手を乗せると、そっと引き寄せた。
 もう、本当にこの子だけが僕の家族なんだ。
 そう考えると、強く愛情がこみあげてくる。
「この身を盾にしても……僕はこの子を守るだろう」
「お兄さま……」
 頬を染めながら、ネイファが僕を見上げた。泣き腫(は)らした目尻が赤く痛々しかった。
「本当に仲の良い兄妹ね……」
 掠(かす)れた声でティーエが笑った。
「以前は嫉妬も感じたけど……だけど、今は……」
 一瞬、ティーエがすごく哀しげな顔を見せた。いつも気丈な彼女がはじめて……いや、久しぶりに見せた、か弱い女の子の表情だった。
「ティーエ……?」
 不意に言葉を詰まらせたティーエは、眼に大粒の涙をためていた。
 それはもう何年も見た覚えのない情景で……なぜか僕の心臓は激しく鳴りはじめた。
「私たちも、もうお別れね……」
「そう……だね」
 何だろう……この感情は……
 僕は不思議な情動に襲われていた。
 彼女……ティーエに触れたい。そして強く抱きしめたい……
 言葉にすればそんな想いが僕の五感を駆け巡る。
 その衝動を僕は必至で堪(こら)えた。
 だってティーエは……この少女はもう……
 そう思った瞬間、僕の脳裏を彼女と過ごした日々がよぎっていく。
 苦しいこと、辛いことも多かったが、今ではそれも良い思い出だ。
 そして……そうした日々を乗り切れたのも、いつも傍らに彼女がいたからで……
 いつしか僕は自然に言葉を紡いでいた。
「ティーエ、最後に一言だけ、聞いてくれないか。君には……迷惑かもしれないけど。でも……僕は……」
 このとき、なぜか僕の目にはティーエの顔が少し輝いたように映った。
 けれど……


「ティーエ、何を愚図愚図しているんだ。オレは待ちくたびれてしまったぞ! 兵どもも郷里へ早く帰りたいんだ」
 『あの男』が喚くような大声を出しながら、近寄ってきた。
 彼は胡散臭そうに僕の顔を見ると、さも当然の権利のようにティーエの肩に手を置き、「さ、行くぞ」と促した。
 ティーエは瞬間、名状しがたい表情を見せた。
 そして、小さくため息をつくと、
「ごめんね、セネト。私……」
 ちらりと『彼』の顔を見上げる。奴はそ知らぬ顔で遠くを眺めていた。
「私、もう行くわ……彼と一緒に……」
 その言葉を耳にしたとき、僕は胸に張り裂けるような痛みを覚えた。
「そ…う…」
 のろのろと返事する。
「……そう…だね。僕ら、もう子供の頃には戻れないんだ……」
 断腸の思いで、僕はそれだけ告げることができた。
「さようなら、セネト……あなたの幸せを祈っているから……いつまでも……レダの空の下で」
 能面のような表情でティーエが言った。
 しかし、その揺れる瞳が雄弁に彼女の心情を語っていた。
 このとき僕は、あの言葉の続きを伝える機会が永遠に失われたと知った。

<Fin.>

[13-06-20]

 セネトとティーエの関係には興味が尽きません。二人に昔何があったのか。
 リチャードとティーエの馴れ初めも知りたいし。
 カナン・レダがメインの続編、ぜひ出てほしいですね。

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