トスカナ女伯マティルデは義理の兄妹で結婚した人物です。
彼女の母でロレーヌ公女だったベアトリーチェは夫の死後、遺領を守るため「髭の殿様」ゴッフレードと再婚したのですが、彼には同名のゴッフレードという息子がいました。
この義理の兄ゴッフレードとマティルデは結婚したのです。
ゴッフレードと結婚するように薦めたのは、当時のローマ教皇レオ9世の懐刀イルデブランド、すなわち後の教皇グレゴリウス7世です。
そしてこのグレゴリウス7世とマティルデが組んで演出したのが、有名な「カノッサの屈辱」でした。
破門された皇帝ハインリヒ4世が、教皇の許しを請うべく酷寒の中裸足で立ち尽くしたのはカノッサ城の前でしたが、この城の主がマティルデです。
マティルデはハインリヒ4世の父帝ハインリヒ3世に自分の弟と妹が暗殺されたものと思い込んでいました。
それゆえ、彼女は終生、ハインリヒ3世の血族に対する復讐を忘れませんでした。
この「カノッサの屈辱」以降も、彼女は帝国の諸都市、諸侯に皇帝への叛乱を扇動し続けます。
そしてハインリヒ4世の長男コンラートに父を裏切らせることにさえ成功したのです。
コンラートは反ハインリヒ4世派の領主ばかり集め、1093年、モンツァの大聖堂でイタリア王として戴冠しました。
このコンラートのもとに駆け込んできたのが、ハインリヒ4世の後添え、つまりコンラートの義母である皇妃プラセーデ(ロシア公女)。もうドロドロです。皇帝の権威は地に落ちました。
そして父を裏切ったコンラートも、君主としての実権を得ることはなく、民衆にばかにされながら27歳でこの世を去ったのです。
全ては一人の女性の怨念から始まったことだと考えると……恐ろしい話ですね。